中江兆民の自由を感じる墓。
兆民中江先生瘞骨之標の特徴
自由民権運動家として知られる中江兆民の墓があります。
高知県出身の中江兆民を偲ぶ静かな雰囲気の場所です。
宗教的な意味合いを持たない独特な墓碑が印象的でした。
ご家族と察しますが、細い墓碑が一柱ありました。
高知県出身で、自由民権運動家として知られる中江兆民の墓。中江は翻訳書『民約訳解』で社会契約論を日本に紹介し、「東洋のルソー」と呼ばれた。幸徳秋水は中江の弟子にあたる。1901年12月13日死去。55歳。在野精神を貫き、民権論を追求し続けた兆民らしい、質素な墓である。なお隣に、息子の中江丑吉の墓もある。中江丑吉は、大正・昭和期の中国学者で、1914年に袁世凱の顧問となった有賀長雄の秘書として中国にわたって以降、北京に永住し中国思想史を研究。市井の生活者としての立場から時代を洞察し,軍国主義日本の崩壊を予言したことで知られている。丑吉は1942年8月3日死去。54歳。
| 名前 |
兆民中江先生瘞骨之標 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.8 |
| 住所 |
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中江兆民は無神論者であり、宗教的な意味合いを持つ「墓」は建てられなかった。ここにあるのは、のちに兆民の弟子らによって建てられた、宗教的な意味を持たない「骨を埋めた場所のしるし」という意味の「瘞骨之標」である。