銀三分の由来、急坂の風情。
三分坂の特徴
三分坂(さんぷんざか)は江戸時代からの急坂で、その急勾配には驚かされる。
荷車の運賃が銀三分(100円)増したのが三分坂の由来とされている。
港区の赤坂にある、知る人ぞ知るハードな坂道スポットです。
三分坂(さんぷんざか)江戸時代、この急な坂を上る際には荷車押しや荷担ぎの賃金を銀三分(さんぷん)、現在の価値で100円ほど増額が必要だったことが坂名の由来のようです。ちなみに「三分」は銀の貨幣の単位「匁(もんめ)」、その3/10の「さんぷん」であり、「さんぶ」だと3/4両という大金になってしまうので「さんぷん」が正しいようです明治期には坂上に近衛歩兵第三連隊が駐屯しており、練兵所から戻る兵士たちが最後にこの急な坂を重装備で駆け上る訓練をしていたそうです。戦後、坂上には赤坂TBS放送センターが出来、TV放送用の電波塔が建っていましたが、東京タワーの完成後にその役目を終へ撤去されたようです。
三分坂と書いて「さんぷん」と読む。「さんぶ」では意味をなさないと。詳しくは、銘版をご覧いただきたい。報土寺の練塀と、ガードレールの勾配にギャップがあるのは、古の坂の勾配と、今の坂の勾配にギャップがあるから、と。練塀の風合いと共に愛でていただきたい。
かなり急な坂。登った先はTBSの裏側。
仕事で時折通る坂道。三分坂をのぼったところにTBSの裏側の出入口があります。TBSって、TOKYO BROADCASTING SYSTEMの略称なんですね。好きな坂道です。
都内でも屈指の急勾配だよね❗
思いの外急こう配。
三分は現在の価値に直すとかなり法外な金額だったということで、実際に三分を割増するというのは行われていなかったのではないかとタモリ倶楽部でタモさんが行ってました。現在もタクシーで通っても割増賃金は要求されません。
江戸時代から名前は三分坂。坂の下にある報土寺も変わらず。
江戸時代、急坂過ぎて荷車の運賃が銀三分割増しになったことが名の由来。坂上にはTBS放送センター、坂下には名力士雷電の墓のある法土寺がある。
| 名前 |
三分坂 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://www.city.minato.tokyo.jp/kyouikucenter/kodomo/kids/machinami/saka/62.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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坂マニアには堪らない、生活道路としては結構な急坂。この付近ではあまりない?擁壁が迫力を増してくれます。