相撲の始祖・野見宿禰を祀る神社。
野見宿禰神社の特徴
相撲の神様、野見宿禰を祀っている神社です。
歴代の横綱の名前が刻まれた石碑があります。
北斎通り沿いに位置し、歴史を感じる場所です。
野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)は、相撲の始祖として日本書紀に登場する野見宿禰を祀る神社。相撲協会の神事に使われている神社で、境内には過去の横綱の名が全て刻まれている巨大な石碑もある。兵庫県たつの市にも同名の神社がある。しかし、社殿内は物置のようで野見宿禰はどこに祀られているの?賽銭箱も置かれていないw
かつてこの東側に相撲の高砂部屋がありました。明治十八年(一八八五)に親方の高砂浦五郎が、津軽家上屋敷の跡地であったこの地に、相撲の神様として知られる野見宿禰を祀ったのが、この神社の始まりです。石垣の石柱には、力士や相撲関係者の名前がまれており、本場所前には必ず、相撲協会の神事が行われます。境内には、昭和二十七年(一九五二)に相撲協会によって建てられた歴代横綱石理があり、その一基には、初代の明石志賀之助から四十六代朝潮太郎までの名前が、もう一基には四十七代柏戸剛以降の名前が刻まれています。
相撲の神様、源流が祀られている神社。大相撲の横綱、初代から73代の名前が刻印されている石碑は歴史を感じられる。大相撲ファンとして一度は訪れてほしい🏟️です。
両国に国技館があることから、相撲の神様をお祀りする「野見宿禰神社」が当地にあります。野見宿禰神社の東隣に部屋を構えていた「初代高砂浦五郎」と交流があった出雲国造81代千家尊福により創建された神社です。また、祀られている「野見宿禰」は、出雲の国主である出雲国造の13代と伝わっていて、末裔である千家の力で立派な神社が建立されています。また、境内には、歴代の横綱の名前を刻んだ「歴代横綱之碑」、日本相撲協会理事長として戦後の相撲界をリードした横綱常ノ花寛市が奉納した御手洗がありまます。また、神社の管理は、日本相撲協会によりなされていて、境内を囲む玉垣には、たぶん相撲関係の方や企業団体名が刻まれています。そういえば、勧進相撲の発祥の地である富岡八幡宮にも、歴代横綱の石碑もあり、摂社ですが「野見宿禰神社」があります。そちらと比べると「野見宿禰神社」が大事にされていることが分かりちょっと興味深いです。というか「野見宿禰」の末裔の尽力で建立された神社ですので当然なのでしょうね。
相撲の神様。相撲取りが、願掛けをしたりする、力士にとっては、特別な神社。両国駅から歩いて、15分ぐらい。余りにも、小さく目立たない場所ですが、行って見ると、なかなか、奥の深い神社です。相撲の好きな人は、推しの力士が早く、昇進するように、願掛けをされてみては、如何でしょうか?
相撲詳しくないですが名前を聞いたことがあるのでさぞ有名なんだろうと思いましたが相撲の始祖とは恐れ入りました。刃牙見てなきゃ知らなかったかもしれません。
横綱の名前が並んでいる石碑があります。
相撲の祖と言われる野見宿禰を祀る神社。両国国技館の近くにある小さな神社。歴代横綱の名前が列記された石板がある。
横綱昇進した新横綱は、次の東京場所前にここに奉納に来ます。また若いお相撲さんも時々お掃除に国技館より来てたりもします。こちらはなかなかレアだと思うので、出会えるとなにか良い事があるかも。最近相撲協会が手を入れて修繕工事を行い、柵を片付けて開放し、誰でも参拝出来るように成りました。勝負の神様(しかも勝った側の!!)神社ですので、御利益がありますよ。
名前 |
野見宿禰神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3623-8572 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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両国界隈にあり、北斎通り沿い(錦糸町寄り)にある神社。祭神は野見宿禰。当麻蹴速と角力(相撲)を取った相撲の始祖。小さな神社ですが境内には稲荷神社もあります。トイレはありません。賽銭箱はありませんでしたが、お賽銭は社殿の扉に直接入れる賽銭投入口がありました。「歴代横綱之碑」があり、新しく横綱になった力士は境内で横綱土俵入りをして、横綱の名が碑に刻まれます。石碑は二つあり、一つは初代明石から朝潮まで、二つ目は柏戸·大鵬から現役横綱の照ノ富士まで刻まれています。「横綱力士碑」と「大関力士碑」は門前仲町の富岡八幡宮に建っています。