安田義定を祀る神社の魅力。
名前 |
若宮八幡神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/2087 |
評価 |
4.0 |
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村誌には [祭神] は仁徳天皇(おおさざきのみこと)とあるが、勧請した「安田義定」を配祀して「想覚神」と称す、とあるように安田義定も祀っている。少し上(北東)にある、城址は「安田義定」の城址と言われている。❶【参考 県市郡村誌上山梨巻 1985年】若宮社(明治7年~24年に書かれた西保村誌による)[祭神] 大鷦鷯尊(おおさざきのみこと・仁徳天皇)社記に「安田義定」の勧請する所なりと云う創建年月は未詳、とある。義定卒するの後、その霊を配祀して「想覚神」と称す。[鎮座] 西保村の東南_旧中村にあり[社格] 村社[境内] 東西 13間1尺2寸 南北 11間 面積 145坪[祭日] 陰暦3月15日 8月塑日_____________[安田遠江守義定] は 東鑑(あづまかがみ)で知ることが出来る。1184年2月5日、一の谷の戦いで 9人の平氏の将軍が討たれ源氏の勝利となる訳だが、安田遠江守義定は、搦め手の大将軍である、源義経に従い、9人のうち3人の将軍を討ったと記録されている。❷【参考 東鑑 1300年頃】[寿永3年(1184年)2月4日](合戦前日)大手大將軍 蒲冠者(かばのかんじゃ)範頼(のりより)也。(おおて 大将軍 源範頼なり)相從之輩(相従う輩は) ~参加武将の名省略~已下五万六千餘騎也(以下 5万6千騎あまりなり)。搦手 大將軍 源九郎義經(よしつね)也(からめて 大将軍 源義経なり)。相從之輩(相従うやからは)遠江守義定 (参加武将の筆頭にある)~そのた参加武将省略~已下二万餘騎也。(以下2万騎あまりなり)~省略~[寿永3年(1184年)2月5日](合戦日)~省略~但馬前司經正(平 経正・つねまさ)、能登守教經(平 教経・のりつね)、備中守師盛者(平 師盛・ もろもり)、遠江守義定獲之云々。(遠江守義定がこれを獲るという)_____________❸【参考 甲斐国志 1814年】若宮八幡宮(江戸時代の書による)社記に安田義定(よしさだ)の勧請。義定の卒後、又、祖霊を配祀し、想覚神と称せり。毎年7月晦日(がいじつ・末日 意味)夜、角力(すもう)あり。よって亡魂(ぼうこん)を慰(なぐさ)すという。(西保の郷、郷中の所々に義定の霊を祀り、七想覚という。字(もじ)或いは、宗覚、宗学、曾覚、祖学 に作る)下石森村神主 兼帯(兼務)[鎮座] 西保中村[黒印] 神領2石8斗8升[社地] 160坪。