日本一小さい東照宮、三猿も見守る。
御殿稲荷大明神の特徴
日本一小さい東照宮として、特に注目されている神社です。
葵の御紋や、見ざる言わざる聞かざるの石像がある独特な雰囲気。
徳川家康公所縁の地で、桜が美しい歴史的なスポットです。
日本一小さな東照宮やとか!豪華絢爛たる東照宮しかイメージ出来ない小職にはある意味清々しく感じました😆東照宮のあらゆる飾りを取り除いた本当の意味での東照宮を観た気がするんです!家康公も希代の苦労人で質素倹約オタクで鳴らした人ですから東照宮はとにかく質素に!を厳命していたそうですが秀忠、家光にしてみればそういう訳にはいかず豪華絢爛な東照宮を築いたんやな💦だから船橋東照宮がひょっとしたら家康公のいちばん意に沿った東照宮やったかも知れんな😅笑それにしても…あらゆる装飾を取り除いた上で船橋東照宮になお残ったのが「三猿」とはなー💦やっぱり人生に於いて「見ざる聞かざる言わざる🙈🙉🙊」はものすごく重要なんやろな🙇
葵の御紋が掲げられていたり、見ざる言わざる聞かざるの石像があったり、しっかり「東照宮」な感じ。
船橋駅から徒歩6,7分位、東照宮と御殿稲荷の神社があり、境内に掲示板が設置され、次のように記されています。市指定文化財(史跡)船橋御殿跡と東照宮一九六五年(昭和四○)三月十七日指定徳川家康は狩猟を好み、各地に狩猟用の「お茶屋」又は「御殿」とよばれる休憩所や宿泊所を建てさせた。慶長十九年(一六一四)家康は上総土気、東金で狩猟を行なったが、船橋御殿の建造もその頃であろうと推定される。家康は元和元年(一六一五)十一月ここに宿泊した。家康の宿泊はこの一回だけであったが、秀忠はその後狩猟のたびに立ち寄ったと考えられる。将軍家の東金狩猟が寛永七年(一六三○)頃に終止した後も船橋御殿は存続していたが、寛文末年頃(一六七○年代)に廃止となったようである。船橋御殿の面積は約四○四アールで、海老川西側の土手に囲まれた地域であった。その後、この地は大神宮宮司の富氏に与えられ、開墾されて畑地となった。東照宮は富氏が建立したもので、この場所が御殿の中心であった場所であると伝えられている。一九九二年三月船橋市教育委員会。
桜凄い綺麗でした!
こじんまりとしてますが綺麗に掃除されていて雰囲気もあります。
徳川家康公所縁だから東照宮。この地域は当時の区画が残ってる。
徳川家康が鷹狩りして時に休んだ場所らしいお賽銭を入れる場所はないです。
日本一小さな東照宮三猿もちゃんといます。
日本で一番小さい東照宮だそうで、住宅街の奥まった所にポツンとありますが、ちゃんと立派な三猿があります。
| 名前 |
御殿稲荷大明神 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
http://www.city.funabashi.lg.jp/kurashi/gakushu/0005/p008870.html |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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日本一小さい東照宮。民家に囲まれた小さい静かなお宮ですのでお騒にならないよう。