周辺のオススメ

スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
以前から気になっていた新河岸川河岸場跡を訪ねました。新河岸川に架かっている旭橋右岸の袂には「川越市指定史跡新河岸川河岸跡」の石碑が建てられ、当時の舟運の繁栄を感じることが出来る場所でした。石碑の右脇には川越市教育委員会が建てた説明板があり、下記のように書かれていました。市指定・史跡 新河岸川河岸場跡新河岸川舟運の歴史は、寛永十五年(一六三八) 川越仙波にあった東照宮が火災で焼け川越藩がその再建用資材を江戸から運ぶのに新河岸川を利用したことに始まるといわれる。翌寛永十六年、川越城主となった松平信綱は、もと内川といった荒川の支流、新河岸川を本格的に改修、水量を確保して川越―江戸間の舟運体制を整えた。旭橋を中心に、上新河岸、下新河岸、扇河岸、牛子河岸、寺尾河岸の五河岸沿には船問屋商家が軒を並べ、さらに下流には古市場、福岡、百目木、伊佐島、本河岸、前河岸、志木河岸、宮戸河岸などが開設され明治維新まで繁栄が続いた。当初は川越藩の年貢米運搬が主だったが、後一般商品も多く運ばれるようになり(江戸行―醤油。綿実・炭・材木、川越行―油・反物・砂糖・塩・荒物・干鰯等) 舟運を更に発展させた。現在も周辺には元禄年間の「そうめん蔵」や水神宮、また明治三年建造の船問屋伊勢姿の店構えなどがあり、往時を偲ばせている。