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名前 |
木暮理太郎翁碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
建物の裏側の山を登っていくと登山家、山岳研究家である木暮理太郎の碑があります。顕彰碑に埋め込まれた木暮翁の胸像レリーフは、現在の顕彰碑がある場所より奥、標高の高い所の岩に埋め込まれてあったが、昭和34年の台風七号で岩が傾き、付近の崩壊はなはだしく建設当時の美しい原生林は見る影もなくなってしまった。 このため、日本山岳会、石楠花山岳会、霧の旅会、山梨県山岳連盟、日本山岳会山梨支部、増冨ラジウム峡観光協会の六者が木暮碑委員会を立ち上げて再建に着手し、寄付金を集めて現在の場所に新しい顕彰碑を造り、胸像レリーフを再び埋め込んだ。 この碑の除幕式は昭和35年10月8日に行われた。除幕式には当時日本山岳会第九代会長の日高信六郎氏が参加した。 これが第1回の木暮祭で以後毎年10月第3日曜日にこの場所で木暮祭が行われるようになった。 碑の真正面には木暮翁が生涯愛でた金峰山が望まれるが、樹木の枝が伸びて建設時の光景とはいささか相違しているものと思われる。 胸像レリーフ いわれ この碑は2トンの重さがあり、道路も現在のように整備されておらず、当時落合(現リーゼンヒュッテ近くの木賊峠と金山への分岐地点)から先の凡そ2㎞の傾斜のある山道を増富の方々が人力により運び上げた。 碑の裏側には日高信六郎日本山岳会会長による「由緒書き」、および木暮碑委員会による碑の「いわれ」の銅版が埋め込まれている。