小田氏家臣の歴史を感じる。
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郭Ⅲ−郭Ⅱの空堀跡が残る。主郭跡が辛うじて、認識できます。
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名前 |
花室城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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評価 |
2.0 |
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小田氏家臣大津長戸之助の居城といわれています。県道で城跡丘陵が分断されていますが、先端の畑地から北側の覚王寺を含むくらいまでが城域とされています。北側は宅地化で遺構は残りません。主郭周辺も、遺構はしっかりとは残らず、県道開削時の発掘調査で堀を検出し、そこから地形的に推測したものです。主郭は南端の畑地で、車でいけはしますが、道が狭い上に畑地ですので、遠慮したいところです。集落内には駐車できそうなポイントも無いため、少し離れたところに駐車せざるを得ない感じです。八坂神社裏手に堀跡が残るそうですが、薮化してよくわかりませんでした。そこから県道に架かる橋を渡ると、主郭とII郭のある畑地に出ます。西側の少し高いところが主郭、東側がII郭です。かつては間に堀が巡っていたようですが、今は僅かな段差しかありません。主郭南東端には土壇があり、物見用の「太鼓櫓」と言われています。主郭の南と西を巡る堀跡は長い畑地となっています。殆ど窪んではいません。南側に一段下がったところは「からめ」「からめ下」という地名が残っていますが、竹薮となり、地形は伺えますが、写真にはうまく映らない形です。明確な遺構は少ないですが、残された地形からかろうじて全体像を伺うことができる城郭となっています。城は小田氏の持城ですが、一時佐竹氏に占領された記録なども残っています。小田氏の城主として大津長門之助の名が伝わっており、各地に転戦しています。長門之助討死後は、海老ヶ島城の平塚氏の一族と思われる平塚弾正忠の在城記録もあります。