櫛引の弾薬庫跡、歴史の息吹を感じて。
櫛引の弾薬庫跡の特徴
昭和18年に東京から移転した弾薬庫跡です。
農家の畑に囲まれた独特な雰囲気を持っています。
外から眺めるだけでも感じる歴史的な魅力があります。
古い建物が好きなら是非行ってみてください。早朝に行った。ヤベっ、無断で入ってしまった。2022年12月。
農家さんの畑の敷地内にあるので、直接立ち入ることは出来なそうですが、道路から眺めるだけでもなんとも言えない雰囲気がありました。戦争時代の現存する建物が今後も残され戦争の悲惨さを忘れない事を願います。
この廃墟の建物は、大戦中昭和18年(1943)頃に空襲を避けるため、東京板橋からこの地に移転してきた、東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所の弾薬庫跡だそうです。現存はこの一棟のみですが、東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所は広い敷地だった為、敗戦後開拓地として田畑となっています。ちなみに、高度成長期前後の70年代にこの辺にあった、それらしい建物のモノクロ写真も投稿してみました。
畑のど真ん中にポツンとコンクリートの塊の建物周りが畑なのでこの建物なんだかミスマッチ少し小さ過ぎないかと思うのですが中を覗くのは不法侵入とかやなので見てません🙏面している通りは畑のあぜ道のような?舗装道路ではありませんかなり凸凹です。
櫛引の弾薬庫跡と呼ばれるこの建物は、深谷市櫛引の畑の中にあります。正式には東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所といわれ、昭和18年(1943)頃に空襲を避けるため、東京板橋からこの地に移転してきました。現在はこちらの重厚なコンクリート製の建屋が1棟残っているのみです。畑の中に忽然と建っている感じは、荒涼として如何にも戦争遺産らしい雰囲気がしました。
| 名前 |
櫛引の弾薬庫跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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私有地だと思うのでご注意ください。剥き出しになったコンクリートは当時から風化している状態の旧弾薬庫です。歴史が感じられます。正式には「東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所跡」と言うそうです。造兵廠(ぞうへいしょう)は、武器・弾薬などの設計・製造・修理などを行い、その蓄積のために使われる軍隊直属の兵器など精密工学の生産に用いる工場および機関のようです。