漆谷のアワに思いを馳せる。
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| 名前 |
慰霊碑(「漆谷のアワ(1940年1月28日)」自然災害伝承碑) |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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富山県南砺市漆谷(うるしたに)には、1940年(昭和15年)1月28日に発生した「漆谷のアワ」と呼ばれる雪崩災害を記録した慰霊碑が静かに佇んでいる。この「アワ」という不思議な名前は「泡雪崩(ほうなだれ)」という特殊な雪崩のことを指している。積もった新雪が急斜面で一気に崩れ落ちるとき、まるで泡のような大量の雪煙を巻き起こしながら、爆風にも似た猛烈な勢いで流れ落ちるため、北陸や信越の山間部では古くから畏れられてきた雪崩だ。当時の記録によると、漆谷には約4.5メートルもの深い積雪があった。そこへ突然襲った雪崩によって、3戸の家が庄川まで流されて全壊し、さらに2戸が雪崩による火災で全焼した。犠牲者は地域の住民10名、そして偶然その場を通りかかった通行人3名を合わせて13名という大惨事だった。被害の大きさは、当時の地元紙『富山日報』にも詳細に報じられている。この災害を記憶に刻み犠牲者を追悼するために建立されたのが、現地に残る慰霊碑だ。碑文の具体的な内容は公開されていないが、災害の犠牲となった人々の供養と、「アワ雪」の恐ろしさを後世に伝えることが目的とされている。現在では文化庁が指定する「自然災害伝承碑」としても登録されていて、南砺市では唯一の碑だという。この地域では古くから雪崩が多発することが知られており、南砺市の他の集落でも雪崩を鎮める石仏を祀るなど、人々が自然災害に祈りを捧げる文化が根付いている。近くの利賀村(旧利賀村)に伝わる「阿別当(あべっとう)の石仏」伝説などもその一例だ。雪崩被害を鎮めるため、一晩で巨石が現れたという伝承もあり、古くから災害への畏怖と祈りが地域文化の一部となっていたことが分かる。また「泡雪崩」による大規模災害と慰霊碑は全国にも存在する。新潟県糸魚川市の柵口(ませぐち)地区では、1986年の雪崩災害で13名が犠牲になり、現在もその地に慰霊碑が立っている。また、新潟県湯沢町三俣では、1918年の大雪崩で158名もの犠牲者が出て、こちらも慰霊碑が建てられ、現在に至るまで災害の教訓を伝えている。漆谷の慰霊碑も、こうした「災害の記憶を伝える碑」としての役割を担っている。地形的に見ると、漆谷地区は北アルプスの最南端に位置する深い谷間で、非常に急な斜面が多く、積雪量も多い。傾斜が35度以上の斜面が多いため、雪崩が起こりやすい条件が揃っている。1940年の災害も、まさにこうした地域特有の地形的リスクがもたらした悲劇だった。慰霊碑を訪れると、豪雪地帯に生きる人々が常に自然災害の危険と隣り合わせで暮らしてきたことを強く感じることができる。この場所は過去の記憶を現代に伝え、防災意識を高める重要な役割を果たしているのだろう。漆谷の慰霊碑は単なる記念碑にとどまらず、この地域特有の自然災害の怖さや人々の生活、信仰と祈りまでをも静かに語りかけている。訪れる人にとって、決して忘れてはならない教訓を思い出させる、そんな場所だと思う。