松本の歴史を刻む、晴庭の石碑。
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| 名前 |
日の出町命名之碑 (旧町名碑 日ノ出町) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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イオンモール松本の晴庭と、松本薬剤師会が入る建物との境に、『日の出町命名の碑』『旧町名碑 日ノ出町』という2つの石碑が並んで立っています。2つの石碑は、現在の中央・県交差点から中町通りの東の端にある交差点の間の道が日の出町通りと呼ばれている理由だけでなく、明治時代以後、製糸業で栄えていったこの地域の様子を現在に伝える石碑でございます。特に、東側にある『旧町名碑 日ノ出町』という石碑には、昭和初年に日ノ出町と呼ばれていたことが記されています。石碑には、〈明治二十三年片倉組が、当時水田であった清水の地に松本最初の製糸工場を開設。その後日本の製糸業が日の出の勢いで世界へ進出していくのにともなって、同工場も明治三十三年には片倉製糸紡績株式会社へと規模を拡大し隆盛に向かった。町名の由来は、日の出の勢いで発展する片倉にあやかり、また松本市の東に位置し日の出を拝する町という意味を込めて日ノ出町と命名された。〉と記されています。現在の晴庭の敷地には、明治時代初期に現在の岡谷市川岸で創業した片倉組(現在の片倉工業)の製糸工場「松本片倉清水製糸所」がありました。片倉組、後に片倉製糸紡績株式会社となった会社で生産された絹糸はカタクラシルクと呼ばれ、製糸業の発展によって、第二次大戦前の長野県を代表する企業の一つに成長していきました。まさに日が昇る勢いで成長していく片倉組にあやかり、当時の製糸工場から中町通りへ通じる道が日の出町通りと呼ばれるようになったのは、明治時代末の明治42年8月のことなのだそうです。訪ねたのは2025年の7月下旬。シダレザクラが目を引くけど、石碑の手前は花壇のようになっていて、ホオヅキが実をつけていました(ホオヅキを見たのは久しぶりかも)。