燃料会館で知る原爆の真実。
| 名前 |
燃料会館 原爆被災説明板 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
〒730-0811 広島県広島市中区中島町1−1 広島市平和記念公園レストハウス |
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原爆被災説明板 No.38 燃料会館-----説明文より-----燃料会館(爆心地から約170メートル)この建物は、1929(昭和4)年、大正屋呉服店として完成しました。戦争が激化し、経済統制も進められ、1944(昭和19)年6月、県燃料配給統制組合に買収されました。1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、すぐ近くの爆心地約600メートル上空でさく裂した原子爆弾により、コンクリートの屋根は大破、内部も破壊炎上し、地下室にいて奇跡的に生き残った1人をのぞいて全員が犠牲となりました。戦後直ちに改修し、燃料会館として利用され、1957(昭和32)年には広島市東部復興事務所がおかれ、都市の復興の拠点として貢献しました。(被爆直後の燃料会館(菊池俊吉氏撮影)(開店当時の大正屋呉服店(清水建設(株)提供)