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梯大橋の歩みここは昔、梯川の渡し場があったところです。平安の時代より、有名な安宅の関があった浜手街道、また山の麓に沿って山手街道がありましたが、平野部が開けるにつれその二つの街道の中程に、戦国時代に平野を横切る新しい街道がつくられました。これが北国街道で、この頃梯川には橋は無く、街道はこの場所で渡し船で渡っていたのです。初めて橋が架けられたのは、よくわかっていませんが江戸時代のようで、舟を並べて板を渡した舟橋でした。前田利常公が小松に入城された寛永十七年(1640年)に、より堅固に架け替えたという記録が梯大橋の最も古いものです。この橋が舟橋であったか、木橋であったかわかっていませんが、舟橋は出水の時は橋板を増し平水には橋板を減じ、洪水を予見した時は橋板を外して、舟の流失を防ぎました。このように、橋板を架けたり外したりしたのでかけ橋(梯)と名付けられたようです。また、川の名も、それまで大川と言っていたのですが梯川と呼ばれるようになり、橋の名が先で川の名となった非常にまれな川です。その後、江戸時代に木橋・石橋そしてまた木橋と幾度も架け直され、昭和11年まで国道の橋として努めを果たしてきました。そして国道が小松大橋に変わった直後の昭和12年に、先代の橋になりました。この橋は橋長74.6メートルで、当時としては珍しいアーチ式鉄筋コンクリート橋(T型ニールセン橋)であり、優雅で美しい姿をしていました。アーチが川面に映った姿から「たいこ橋」の愛称で市民に親しまれていました。茶屋町は、渡し場の傍らに舟を待ち合わせる人々の小憩した掛け茶屋があったので、明治8年に東側の梯橋出村と合わせて茶屋町と名付けられました。対岸の大川町は、小松市の中でも最も古い町の一つで、度々の水害にあったことから、泥町とも言われていましたが、昭和15年市制施行の時に、昔の川の名の大川町と変更されました。泥町の名のように、小松周辺の人々は梯川の水害に悩まされてきました。昭和43年の災害を契機に梯川は一級河川に指定され、川幅を80メートルから120メートルに広げる改修工事を行う事になり、これに伴って、今回の橋長117.4メートルの梯大橋に生まれ変わりました。市民に愛され梯川のシンボル的な橋とするため、市民の方々や学識経験者・小松市等の意見を聞き、地域の意向を十分に反映させるように検討を重ねました。そして、かっての北国街道をイメージできる木橋風で、古風で落ち着きがあり、親しみが持てる橋といたしました。平成6年11月建設省小松市。