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標高24mで薄い貝層が見られた。須恵器(表杉ノ入式)、土師器が散乱しており平安時代の貝塚と考えられたが、縄文中期~後期の土器片(大木9、10式、南境式)も混じっていたそうだ。発掘の結果、平安期の竪穴式住居8軒などが見つかった。鉄滓などが出土しているため、鍛冶場跡と考えられる。土器の年度から10世紀頃、土師器には墨書されたものも混じっていた。なお発掘された場所は斜面を幅狭く掘っただけのため、まだまだ埋まっている可能性が高い。