淡路町三丁目の勝海舟寓居。
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| 名前 |
勝海舟寓居・大坂海軍塾(専称寺)跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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勝海舟寓居・海軍塾(專稱寺)跡この付近「淡路町三丁目」はもと「北鍋屋町」といい、専稱寺がありました。文久三年(一八六三) 勝海舟が住み、坂本龍馬や近藤長次郎らはこの国を守るための海軍技術を学びました。その後、塾は神戸(現兵庫県)に移ります。專稱寺は寺伝によると、江戸初期に北鍋屋町に開山され、明治三十三年(一九〇〇)には神戸に移転し、現存する浄土真宗本願寺派の寺です。慶応二年(一八六六)に記載された水帳には、表口十一間、裏行二十間の広さとあります。北鍋屋町は後に区画整理などで、現在の淡路町二丁目五から六、同三丁目一から二に該当します。文久三年(一八六三)三月朔日(一日) 幕臣 勝海舟は「(略)此日、旅宿を北溜屋町真正寺に定む坂下(本)、新宮、京師より来る」と、「海舟日記」に記しています。文久三年九月九日にも「(略) 専修寺旅宿に入る(略)」という記載があり、また、勝の知人である幕臣 杉浦梅潭(ばいたん)は、日記の文久四年正月七日条に、「勝鱗(麟)太郎旅宿 北鍋屋町専正寺」と記しています。勝海舟は「日本の海軍 一大共有の海局」を目指し、佐藤与之助(よのすけ)を塾頭として、私塾「大坂海軍塾」を専稱寺で開きました。塾生には、坂本龍馬をはじめ、望月亀弥太(かめやた)高松太郎、千屋(ちや)寅之助らも加わり、航海術を学びました。この頃、近藤長次郎は南鍋屋町にある「大和屋弥七」の娘 徳(とく)と結婚し、遺児百太郎(ひゃくたろう)が生まれます。また、勝海舟は、桂小五郎・井上間多(もんた)・松本良順(りょうじゅん)、西郷吉之助らが、大坂の旅宿を訪れたと記していてここ專稱寺の可能性があります。【漢字は原文を使用しています。】平成二十二年九月。