歴史を感じるアテルイ供養祭。
阿弖流為・母禮慰霊碑(アテルイ・モレ)の特徴
アテルイ供養祭で歴史を感じる特別な体験ができる。
慰霊碑に納められた大阪府枚方市の土が歴史を語る。
古代胆沢の蝦夷の勇気を称える重要な史跡である。
慰霊碑にはアテルイとモレが処刑された河内国の土(大阪府枚方市の牧野公園内の塚の土)が分霊として納められている【碑誌文面】宝亀七年(七七六)以来、度重なる朝廷軍の攻撃に対し古代胆沢の蝦夷と呼ばれた人々は、郷土を守るべく敢然と立ち上がりました。延暦八年(七八九)には勝利を収めましたが、その後も繰り返された戦いにより多くの命が失われ、胆沢の地は荒廃しました。地元、胆沢の長阿弖流為と母禮は、仲間五百余人と共に坂上田村麻呂に降伏します。二人は延暦二十一年(八〇二)八月十三日(九月十七日)に河内国(大阪府枚方市)で処刑されました。阿弖流為、母禮をはじめとする先人たちの自主独立の気概、郷土愛、友情は私たちの誇りです。ここに多くの賛同者の浄財により、ゆかりの地に慰霊碑を建立し、永く顕彰します。平成十七(二〇〇五)年九月十七日以下、慰霊碑建立の経緯京都の清水寺に平成6年に碑が建立され毎年法要が行われているが、岩手県では顕彰すれども慰霊する碑はなく、 碑の建立はアテルイに関心を寄せる地元関係者の長い間の念願になっていた。 水沢市(現・奥州市水沢)羽田町の有志を中心に、同町の羽黒山頂への建碑を呼びかけ、2004年2月に碑建立実行委員会が設立され、準備が進められた。2005年7月27日に地鎮祭を行い、9月17日の"アテルイの日"に合わせて入魂並びに除幕式が行われた。
| 名前 |
阿弖流為・母禮慰霊碑(アテルイ・モレ) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
4.7 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
アテルイ供養祭の時の様子です。