豊川稲荷と遺徳碑の参拝。
隆興寺(前橋市三河町)の特徴
上毛電気鉄道の出口から徒歩7分、アクセス抜群です。
曹洞宗のお寺で南無阿弥陀仏の御経が唱えられます。
豊川稲荷の分社として、お稲荷さんにもお参りできます。
群馬県前橋市三河町、上毛電気鉄道上毛線/中央前橋駅出口から徒歩7分位にある「隆興寺」さんへ参拝しました。13時15分に参拝で他の参拝者はいませんでしたのでゆっくり参拝する事ができました。「普門山 隆興寺」「宗派」 曹洞宗「御本尊」 釈迦牟尼佛「御由緒」江戸時代初期の寛永13年(1636年)3月に厩橋(前橋)城主、酒井雅楽頭忠世により大珠山龍海院9世、角雲全虎和尚を招請し開山しました。「豊川稲荷」明治18年(1885年)に18世、洞光禅山和尚により愛知県、円福山豊川稲荷妙厳寺から勧請して健立された。「多宝塔」天保14年(1843年)健立で前橋市内最大の大きさとなっています。「津久井磯の遺徳碑」津久井磯は江戸末期から明治にかけて在命した産婆(助産師)。水戸藩の家に生まれ24歳の時に前橋市の産科医と結婚「産論」などの専門書を読みながら夫を師として研鑽に励み産婆として独立。出産時の事故が多かった時代に多くの命を救い、私立上毛産婆学校を設立し産婆界全般の資質向上を目指して組織作りにも奔走した。「感想」国道50号線から入った所にある石材店から山門、参道へと入り参道右側には六地蔵尊や石仏が並び多宝塔、慈母観音像へと続きます。境内正面に本堂があり左側から手水舎、豊川稲荷と続き奥には、しばらく前から休園している隆興寺幼稚園や遊具があります。山門から続く趣のある参道を抜けて本堂を見た時に「あれっ?場所を間違えた」かと思いってしまいました。インドのモスクのようなドーム型の屋根がある面白いたたずまいのお寺に出会う事ができました。ありがとうございました。
建物はかなり変わっていますが、訪れてみる価値があるのかサッパリ分からないです(´・_・`)💦。
お墓参りのついでにお稲荷さんによくお参りしていました。以前は、幼稚園が併設されており子供たちの声が聞こえていたり、夕方頃になると近くの子供たちがよく遊ばれていました。
此方は曹洞宗のお寺ですので御経は南無阿弥陀仏は唱え増せん。般若心経を唱え増す。
義母の一周忌をしました。コロナの影響もあり、少人数での法事となりましたが、心をこめた、住職からのお話もあり、良い1日となりました。
こちらには津久井磯子の遺徳碑があります。明治時代、産婆は「とり上げ婆さん」と呼ばれる土地の年寄りなどが、医学的知識も無いもまま、赤子を取り上げていました。当然、衛生観念も薄く、技術も稚拙であったので、嬰児や妊婦の生命は常に危険に曝されていました。産科医のもとへ嫁いだ津久井磯子は、この現状を憂い、基礎教本を学び、夫を助けながら実地の勉強も重ねました。明治6年(1873年)鑑札制度ができると、磯子は鑑札を受けるとともに、内弟子を取って産婆を養成しました。その第一号は高橋瑞子で、彼女は上京して産科、婦人科、医科を修め、荻野吟子、生沢クノに続き、日本で三人目の女医となりました。なお、磯子は前橋に生まれましたが、十七歳のとき、江戸の水戸藩邸に奥女中として仕えていました。その時、伯父について鎖鎌を修めました。後年、産婆となって往診に向かう際、山道に出没する獣や追い剥ぎの類いを、彼女は全く怖れなかったといいます。いやあ…凄い女性ですねぇ(^_^;)なお、このお寺の本堂は、まるでロシア正教の教会のようなエキゾチックな形をしています。たまたま、ご住職と思われる方が清掃をなさっていたので、理由を聞いてみると…「さぁわかりませんねぇ」と、ニコニコしながら答えて?下さいました(^_^ゞなお、こちらのお寺は酒井雅楽頭忠世(さかいうたのかみただよ)の位牌を祀る寺として建立されました。忠世の戒名が隆興院源真公であったので、隆興寺と命名されたのだそうです(^3^)/
お寺ですけど豊川稲荷の分社もあります。出勤前にお詣りさせていだたいておりました。
名前 |
隆興寺(前橋市三河町) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
027-224-6129 |
住所 |
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評価 |
3.6 |
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入口は西側。境内は雑然としている。奥にあるお寺らしい建物は豊川稲荷。手前にある現代的な建物が本堂です。