樋春七社神社で由緒を感じる。
七社神社の特徴
樋春七社神社は多くの御祭神を祀る立派な神社です。
鎌倉期からの歴史があり、荘園の名残りを感じられます。
JAくまがやふれあいセンターの近くに位置して便利です。
JAくまがや ふれあいセンター 江南店の脇にある神社です。素朴で風格かあり、古くから大切にされてきたのがわかります。摂社末社にはとくに名称が見当たらず、調べてから参拝しないと、七社が何かよくわからない点はあります。
けっこう立派な地元神社でした‼️👍
名前 |
七社神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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樋春七社神社(ひはるしちしゃじんじゃ)御祭神 大日霊女貴尊 誉田別命 天児屋根命 大山祇命 別雷命 大斗辺命 倉稲魂命境内社 手長神社 稲荷神社 合殿(坂田稲荷社・持木稲荷社・実朝社) 不動・御嶽山霊神など由緒樋口村 七社明神社當村及び春野原村の鎮守なり 押切村八幡神主篠田周防持春野原村 春日社當村及び樋口村の鎮守なり(「新編武蔵風土記稿」参照)樋春七社神社の創建年代等は不詳ですが、鎌倉期に「春原荘」と呼ばれる荘園が設置されていた古きから祀られてきたのではないかといわれています。春野原は鎌倉期から戦国期に見える荘園名「春原荘」の遺名です。戦国時代、地内の平山家の先祖である新井豊後守は、深谷城主上杉左兵衛憲盛に属して当所に住み、深谷落城後当地に土着したと伝わっています。そのことから、永禄年間(1558~1570)の本殿造営に平山家のかかわりが考えられています。当地は荒川の堤防沿いに位置し、用水の取り入れ口であることから古くは樋口村と称しました。万治三年(1660)に村の南部の春野原を分村しました。当地一帯は樋口村と春野原村に分村したことによって、当神社は樋口村では七社明神社、春野原村では春日社と称されました。神社一殿に二社が祀られ、それぞれの鎮守とされていたことになります。「神社明細書」には、両村の入会地に「七社神社・春日神社」が両村鎮守として鎮座し、樋口村では七社神社と呼び、春野原村では春日神社と呼ぶ、とあります。明治維新後に樋口村と春野原村とは再び合併しました。樋春の鎮守として明治四年(1871)村社に列格しました。明治五年(1872)に至り、樋口村の「樋」と春野原村の「春」とを組み合わせて樋春村と命名しました。明治二十四年(1909)稲荷社二社を合祀しています。(「埼玉の神社」参照)境内社「通殿稲荷社」社殿右後方に「手長神社」と「稲荷社」が祀られています。樋春北地域には通殿様と呼ばれる真光寺持ちのお堂があります。これは「風土記稿」樋口村項に見える「通殿稲荷社」の事といわれています。明治二十四年(1909)に宇四度梅原地区から七社神社に合祀された「稲荷社」は、この「通殿稲荷」です。