伊江村民の歴史を辿る。
スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
| 名前 |
伊江村民収容地跡記念碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
スポンサードリンク
周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
伊江村民収容地跡記念碑太平洋戦争末期の昭和20年3月までに日本軍の命令により約3,200人の村民が今帰仁村に疎開、同年4月21日米軍伊江島占領、奇跡的に生き残った村民約2,100人は渡嘉敷村ど座間味村へ強制収容される。昭和20年6月24日今帰仁村に疎開していた村民約3,200人は米軍により旧久志村大浦崎に強制収容、同年9月に久志へど収容地が移動され、この地が戦後の村行政の発祥の地となる。昭和21年8月から12月にかけて外地及び、本土からの帰還者及び引揚げ者1,000人が久志で合流し、約4,200人の村民になる。以来、昭和22年3月18日までに伊江村民が旧久志村民にご迷惑をかけながら耐え難い日々を共に生きてきた苦難の歴史の地である。平成9年12月(戦後50周年記念)に諸々の都合により当時の学校入口に建立したが、戦後70周年を経て実際の居住地に伊江村民ど久志区民の融和の象徴としてこの碑を移設建立した。平成29年3月18日\t\t沖縄県伊江村-碑文より-