羽津小学校近くの美しい墓碑。
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| 名前 |
森 泰友翁墓(神職:祠掌・祠官・社掌/私塾経営) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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四日市市立羽津小学校校北西に墓碑が建立されていて、碑、碑周り等綺麗に維持・管理されています。※資料を引用しご紹介します。【森 泰友翁墓(神職:祠掌・祠官・社掌/私塾経営)】森泰友翁は文政11年(1828年)8月10日に代々神職を務める森家に生まれ、幼少のころから国学を学び、16歳にして神職の相続を許された。天保14年(1843年)、村民の教育のために私塾を開き、読書と習字の2科目を教えた。生徒は常に70~80人を下らず、明治5年に羽津学校の開校によって閉塾するまでの間、延べ300余人を教えたという。この間、明治6年(1873年)には、伊賀留我神社、八幡神社、、神明社、長谷神社、天王社(茂福)、立坂神社(垂坂)、若宮八幡社(北村)、伊賀留我神社(北鵤)、長倉神社(大矢知)、耳常神社(宮村)の祠掌を、明治8年(1875年)には志氐神社祠官を務めたが明治11年に退いた。その後、明治35年(1902年)に諏訪神社の社掌に任じられたが在任中に病に倒れ没した。この墓碑は、氏の徳を称えて門人有志により建立された。