高瀬川沿いの歴史、七之船入で楽しむ。
高瀬川の沿革の特徴
江戸時代初期からの歴史を持ち、豪商の角倉了以が開いた運河が見られます。
高瀬川沿いに位置し、七之船入の向かい側にパネルが設置されています。
観光案内所として、高瀬川の歴史的背景を学ぶことができる場所です。
高瀬川沿いにある「七之船入」の向かい側に「高瀬川の沿革」パネルがありました。高瀬川(たかせがわ)は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以と素庵の父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河になります。四条から二条までの高瀬川沿いには荷物の上げ下ろしや船の方向転換をするための「船入」の跡を示す石碑が「一之船入」から「九之船入」まであります。水深は数十センチメートル程度と浅く、物流には底が平らで喫水の低い高瀬舟と呼ばれる小舟が用いられた。この高瀬船の模型が高瀬川の沿革パネルと同じ場所にありました。
| 名前 |
高瀬川の沿革 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
江戸時代初期から大正時代まで盛んに使用され、有名な豪商の角倉了以が開いた運河だそうです。