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新町錦小路交差点を北に行った西側にあるホテルの北壁にあるのが「田中源太郎邸跡」の説明書きになります。ここは、明治20年(1887年)12月に百足屋町に転入され本宅を構えて、晩年まで過ごされた場所になります。田中源太郎のご遺族は昭和28年2月までこちらに住んでおられました。田中源太郎の生家は、京都府亀岡市北町44にある「田中源太郎旧邸(楽々荘)」になる。現在、改築されレストラン(楽々荘)として利用されている。田中 源太郎(たなか げんたろう 嘉永6年1月3日(1853年2月10日)~大正11年(1922年)4月3日)は、京都府旧桑田郡亀山北町生まれで 明治-~大正時代にかけての政治家、実業家になります。1869年亀岡陸運を創業、のちに京都株式取引所、京都商工銀行、亀岡銀行の各頭取などを務めた。また、衆議院議員も当選3回している方になります。大正11年(1922年)4月3日保津川橋梁上で起きた脱線事故に巻き込まれ、列車もろとも保津川へ転落して亡くなった。田中源太郎と息子の一馬は、南観音山の復興を支えられた方になる様です。