2025年10月15日、特別な瞬間を。
| 名前 |
花登筺文学碑 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP |
http://www5.city.otsu.shiga.jp/kankyou/content.asp?key=0408000000&skey=67 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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写真の撮影日時は2025.10.15(水)08:14~。この日は、大津市膳所西の庄の滞在先を06:40に出発して旧東海道を浜大津方面に歩いた。トイレを借りるため一度京阪電鉄石場駅近くの公園(名前分からず)に寄り再び石場駅から旧東海道へ戻った。そして小学生たちの元気な声を聞きながら(恐らく大津市立中央小学校の生徒さん、ちょうど登校の時間帯)大きな通りに出た。山側にゆけば JR大津駅だと思うが、そちらには行かず〈島ノ関西〉という踏切(京阪電鉄石山坂本線)を渡り琵琶湖畔(なぎさ公園)へ向かった。わたしは過去に15年以上大津市(先述の膳所西の庄)に暮らし、折りに触れこの辺りを散策したが、こちらの“花登筺文学碑”はまったく意識していなかった。この石碑に埋め込まれた花登筺の生涯を読んだ、というよりは、「花登筺は滋賀県大津市出身で…」という書き出しを読んだ時点でえーっ、と思わず声をあげてしまった。子供のころ家でテレビで祖母や祖父と観ていた『あかんたれ』を思い出した。また、この石碑の周りにかなり大きな石が幾つか置いてあり、石好きなので思わず唸った。今年の05月からは行く先々で“参拝記念”と称して小石を一つ戴いてきたが、ここまでくるとそれも不要に感じた。以下にごく簡単に花登筺の基本データを記す。参考は Wikipedia の花登筺、星由里子(花登の3人目の妻)、『細うで繁盛記』など。因みに『細うで…』は原作名を『銭の花』というが、この“銭”という言葉が関東方面の人々には好まれないという理由で細うで…に変更したそうである。55年という決して長くない人生に於いて、最盛期に於ける執筆ペースは1ヶ月で原稿用紙2,000~3,000枚、生涯に書いた脚本6,000本超、そして大津市立図書館本館に「花登筺記念文庫」というのがあるそうだが、遺族が大津市に寄贈した資料は8,300点を超えるそうである。すべて敬称略。合掌花登筺…昭和3.03.12~昭和58.10.03(1928.03.12~1983.10.03)享年56死因・肺癌生誕地・滋賀県大津市上北国町(現・大津市長等1丁目)没地・東京旧姓名・川崎善之助本名・花登善之助(花登家へ嫁いだ姉・八重の養子となり改姓)代表作・『細うで繁盛記』『あかんたれ』『どてらい男』『ぼてじゃこ物語』など。