硫黄の香り漂う那須温泉神社。
那須温泉神社の特徴
硫黄の香り漂う、自然に囲まれた那須温泉神社です。
干支や季節ごとの雰囲気が楽しめる、特別な神社です。
平家物語に登場する那須与一の由緒ある神社としても有名です。
硫黄の香りが漂う素敵な神社です。入口に無料の足湯がありました、当日は猛暑日だったので遠慮し境内へ、下から見上げると本殿が見え無いので意気込んで階段を登り始めると直ぐに本殿迄4分と看板があり一安心、参拝を済ませ右側を見ると眺めの良い景色が、見ると源泉地帯が見渡せます。駐車場は道路を挟んで観光用が鳥居前にあり、御朱印は書き置きタイプで戴けます。
神社巡りが大好きな私は那須高原旅行の際に参拝しました。愛宕神社の階段がめちゃキツくて数えてみたら163段。実数はわかりませんが階段が急、幅が狭い、藻が生えてて滑りやすい、手すりもないのでガチに気をつけた方がいいです。上りは怖いですが下りは右に迂回路の緩やかな坂があるのでそこから降りるのをオススメします。この階段がまさにパワースポットなのでしょう。
緑豊かで爽やかな参道。美しい神社です。参道は長めで何箇所か階段があり、段を上がる毎に景色が変わるのが良いところ。駐車場(無料)は大鳥居前にありますが、思った以上に勾配があり、通路が狭いので停めづらいです。
元旦の午後4時頃初詣に行きました。駐車場は近くに4箇所ほどあります。人も少なくゆっくりと初詣できました。参道は所々凍っているので、冬用の靴で行くことをおすすめします。社務所は4時に閉まりますので御朱印をいただく方は、時間に注意が必要です。
よく温泉に入りに来るが来たことのなかった神社。今回は参拝しました。一の鳥居からかなりの距離の参道を歩くが途中には沢山のスポットがあり退屈しません。入口脇の鹿の像はやはり鹿の湯伝説だからですね。御利益ありそう。
こちらの神社は、きれいに手入れをされていて周りやすく景色も綺麗でした。湧水も出ていて良かったです。
温泉地にある神社としてはかなり立派な本殿でした。本殿から振り返ると一直線の参道が見渡せます。
平家物語にも登場する那須与一でも有名な由緒ある神社です。ちなみに、「おんせんじんじゃ」ではなく「ゆぜんじんじゃ」と読みます。またパワースポットとしても人気があります。九尾の狐の御朱印があります。2021/05/19昨年頂いた御札、御守りの返納に来ました。つつじが見頃でした。
那須温泉郷来た時は必ず訪れます🚗⛩春夏秋冬季節事に雰囲気が良く。🌸☘️🍂☃️本殿までの参道がまたいい感じで好きな場所です。御朱印いただきました。
名前 |
那須温泉神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0287-76-2306 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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2024.10.22【那須温泉神社⛩️】商売繁昌、家内安全、病気平癒、身体健全、縁結びの御利益があります。また、那須与一も祈願したところから必勝祈願の御利益があります。【那須余一】那須余一(与一)は那須地方の豪族です。那須太郎資隆の十一男として生れました。十一番、十あまり一で余一と命名されました。(後に与一に改名)源義経の東国参陣の時これに従い、以後義経の騎下となって 源平戦を戦いました。 有名な屋島の戦いで扇の的を射て名声を上げ20万石を頼朝公から賜わりました。温泉神社と余一との深いつながりを表すものとして「平家物語」にはこのように記載されています。【那須余一と温泉神社との関わり】神社は、延喜式神名帳(西暦900年代)に十社を数え、那須温泉神社の霊験は国内に名高く、奈良朝時代の貴族の温泉浴のことは正倉院文書によりても明らかです。貞観11年(869年)に従四位上を授けられた。後世那須余一(与一)宗隆西海に扇の的を射るに当たり、当温泉神社を祈願し名声を轟かして、那須郡の総領となり 領民こぞって温泉神社を勧請し奉り、貞享3年(1686)6月19日正一位に叙せられました。【大東亜戦争終結那須温泉大火】昭和二十年八月一日夜半から同二日朝にかけて、那須湯本温泉街が全焼するという大火災が発生染ました。当時は新潟県方面に爆撃に向かう米軍機が湯本上空を通過し空襲警報が発令中で住民は避難を始めているところでした。大火が起きた原因は、灯火管制下で使っていた 照明用のローソクの消し忘れだとされています。湯本本町から出火し燃え広がった炎は瞬く間に 近隣旅館や住宅などを飲み込み大町から旭町、見晴町の一部を焼き尽くし、一夜にして八十五戸、百十五世帯が焼き出され 被災者が二百六十八人にのぼる大火となりました。戦後の物資不足の中、建物の再建と水道施設の復旧、道路の都市計画決定など官民一体となって復興をはたしました。大火の恐ろしさを再認識し、苦難を乗り越えて現在の繁栄の感謝を捧げ、後世に那須温泉大火の事実を伝えるため 茲に那須湯本温泉街の大火前後の記録写真を収めておられるそうです。神社近くのお土産物屋さんで写真が飾られておりました。この地域はとても賑わっておりましたね。