新保の急坂道、江戸時代へタイムスリップ。
武田耕雲斎本陣跡(新保陣屋)の特徴
木ノ芽峠から約2.5kmの急な坂道沿いに位置します。
江戸時代にタイムスリップするような畳の部屋があります。
こじんまりとしたお屋敷で誰もいない静かな雰囲気です。
1864(元治元)年12月、木ノ芽峠を越え新保村(敦賀市新保)に到着した天狗党は、幕府軍に包囲され、葉原村(敦賀市葉原)に布陣していた政府軍先鋒の加賀藩と対峙する。武田耕雲斎は当時問屋を営んでいた塚谷家の屋敷に本陣を置き、加賀藩から派遣された使者との交渉の場として利用した。加賀藩との戦闘を望まなかった天狗党は、この屋敷で交渉を重ねた結果、降伏することを決めた。武田耕雲斎本陣跡(新保陣屋)感想、とても趣きのある建物だった。ここで、武田耕雲斎等が、加賀藩に降伏したことを考えると、不思議な感慨を覚えた。
小説「西郷の首」を読んだ後ここに来るとテンション上がります。ここで武田耕雲斎や天狗党が陣を構え無念の降伏をしたとこか思いを馳せます。
何時も綺麗に整備されてます。天狗党の解説ボードも設置されてました。
こじんまりとしていますが、中は昔の畳の部屋で、江戸時代というか昔の時代にタイムスリップしたような感覚になります。中に入れますが、刀(模造品?)などは触らずそっとしておいた方がいいでしょう。チラシはもらってもOKです。
集落の中にあります誰もいませんが見学は自由ですこじんまりとしたお屋敷です2020年08月下旬。
「こじんまりとした家屋」急な坂道の町、新保。その中ほどに建物はある。門は構えられているけれども、その奥にある建物はそう大きくはない。150年以上前の苦悩が染み込んだ空間であり、「皆さんが命を託した未来はこんなになりましたよ。いかがですか」と思わずにはいられなかった。
「こじんまりとした家屋」急な坂道の町、新保。その中ほどに建物はある。門は構えられているけれども、その奥にある建物はそう大きくはない。150年以上前の苦悩が染み込んだ空間であり、「皆さんが命を託した未来は こんなになりましたよ。いかがですか」と思わずにはいられなかった。
名前 |
武田耕雲斎本陣跡(新保陣屋) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0770-21-8686 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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旧北国街道の難所、木ノ芽峠からの古道を南に約2.5km下った新保宿の急な坂道沿いにある本陣跡です。小さな建造物です(誰もいませんが中には入れます)。壁には水戸天狗党が通ったルート図(筑波山が出発地?)が貼ってあり、床の間には刀が置かれていました。