心を洗う、余白の時間。
玄性寺の特徴
自分を見つめ直す貴重な時間が流れる場所です。
心が洗われる幸せ空間でのんびりできるお寺です。
生きていることの有難みに気づける素敵な空間です。
「何もしないをする。」そんな言葉が似つかわしい素敵な場所でした。心からゆるりと脱力し、何も肩ひじ張らずに過ごせるのは、そこにいる人が素敵だからでしょう。「ただいま」を言いたい大好きな場所が出来て嬉しいです。ありがとう。
幸せ空間。日常の喧騒から離れて、ありのままを許し無にしてくれる場所でした。
心が洗われる時間をいただきました。本堂も素敵で、心安らぐ場所です。お寺と聞くと、どんな時に行くところなのか、若い子はあまり理解してないかと思いますが、このお寺はどんな時でも受け入れてくれるお寺です。苦しい時、悩んでる時、忙しくて心が荒れてる時。訪れてみて、霊河家の皆様とお話ししてみてはいかがでしょうか。どことなく、自分の居場所のような穏やかな気持ちにさせてくれる、そんな場所でした。またこれからも定期的に伺おうと思います。
【住職さんも、”ひと”なんだって、感じる場所。】------------------住職さんと一緒に、重低音の効いた音楽に包まれながら、畳にごろんと横たわって、何の目的もなくゆったり話せる場所。------------------..「住職さん」や「お寺」と聞くと、なんだか格式高くて、ついつい身構える自分がいる。そんな自分の鎧が、みるみる内にほぐされていく。..16代目、17代目住職さんと一緒に、食事を味わい、音楽を味わい、景色を味わい、空気を味わい、なんだか自然と、「僕たち、生きてるんだなあ」と感じる。..そして何より、一緒にいろーーーんな話をする中で、「学生も、会社員も、住職さんも、みーーーんな、悩んでるんだなあ」「みんな、おんなじ、”ひと”なんだなあ」と感じる。..そんな、「ひと」であることを、いつのまにか味わっている、素敵な場所です。これからも数十年、ゆったり通い、ゆったり味わっていきたいです。
「のんびり」できる、すてきな場所。時間を忘れて、ボーッとできる。日の当たる縁側で、考えていたことすべて忘れて、のんびりできる。色々リセットされて、スッキリできる。お寺の見方も変わる、そんな場所。
日々の生活では感じられない、ゆったりとした余白のような時間が流れる素敵なお寺です。何もないけど、全てがあるような充実感と幸福感に満たされます。近くに綺麗な川があったり、縁側でお昼寝したり、思い思いの過ごし方ができます。常に何かしらやることがある状態で過ごしている日々の中で、何もせずただぼーっとするということはとても価値のあることだと思います。そんな豊かな時間を過ごせる場所が、玄性寺です。
心を落ち着かせられる場所。都会の喧騒に疲れた人も、非日常を味わいたい人も、なんだか一息つきたい人も立ち寄れる、そんな場所でした。住職のギターも聞くことができる?!ので、普通のお寺とは違って、敷居は高く無く、気軽に立ち寄れます。1人で行くもよし、みんなで行くもよし。昔ながらの、ちょっと立ち寄るお寺、相談に乗ってくれる人がいるお寺、そんな雰囲気の場所です。
お寺の概念をぶち壊され、生きていることの有難みに気付く、そんな素敵な場所です。お寺というと、敷居が高い・厳しい・一般人お断り、という旧来からのイメージがあるのではないでしょうか。玄性寺は、そんな固定概念を見事に打ち砕いてくれます。浄土真宗はおろか、仏教のことすら十分に理解していない若造を、暖かく受けいれて下さる、住職ご一家の皆さん。のどかな風景に囲まれ、鳥のさえずりを聞きながら、暖かい日差しが降り注ぐ縁側でくつろいで、「何もしない」ということをする贅沢。極めつけは、住職さんが持ち前の美声を存分に発揮されて行う、ギターの弾き語りによる説法。自分の中で、住職の概念が見事に覆された瞬間でした。忙しない日常を送り、心の余裕をなくしがちな現代人にとって、きっと羽を休め、自分の生き方・人生を振り返る、素晴らしい機会になるでしょう。合掌。
なにもないことをする。初めは戸惑いますが、好きな人たちと好きなようにゆったりしたり、みんなでご飯を作ったり。普段の役割や責任を忘れて、なんだか小さい頃に田舎のおばあちゃんの家にきた時のような過ごし方をできる空間でした。住職であるパパさんの弾き語りは本当に言葉では表しきれないほど心に響きます。玄性寺で過ごしたことで、日々の生活に、それを支えてくれている人々に感謝しようと自然と思えました。今度は二泊三日で行きます!
名前 |
玄性寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0776-66-1920 |
住所 |
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HP | |
評価 |
5.0 |
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訪れる度に自分を見つめ直す時間、自己の未来と過去を探求する日々、お寺へと足を運ぶ度に自分の成長を知れる、そんな日々でした。住職ともお話しさせていただき、若院とは濃密な時間を過ごさせていただきました。あと人生で何回訪ねることができるのか、そんなことに思いを走らせながら日々を大切に生きていこうと強く思わせてもらったお寺でした。皆さまにも是非足を運ぶ機会があることを願っております。