氷川神社近くの戦艦武蔵碑。
戦艦武蔵の碑の特徴
昭和17年に完成した戦艦武蔵の顕彰碑がある場所です。
武蔵一宮氷川神社の三の鳥居をくぐった先にあります。
大和型戦艦の二番艦として知られる歴史的なスポットです。
昭和17年8月5日、広島県呉で完成した戦艦武蔵の竣工式には、氷川神社より6名の神職が出向し、四季が厳しく執り行われたそうです。艦内神社には、氷川神社が分祀され武蔵神社と命名されたそうです。海のない埼玉との関係性に疑問を抱きつつ、解説を読むと、氷川神社と戦艦武蔵に意外な関係に驚きますよ。
平成27年に建立された大日本帝国海軍『戦艦武蔵』顕彰の石碑です。戦艦武蔵の艦内神社にここ『氷川神社』が分祀されていたことから、この地に建立されたようです。石碑の前で目を閉じると、四十六サンチ砲の音が聴こえてきそうです。
竣工式には氷川神社からも六名の神職が出向されたそうで、戦艦武蔵の艦内には氷川神社が分祀され、武蔵神社と命名されていたとのこと。
『この世界の片隅に』を見るとこういう慰霊碑が違って見えてきますね。
母親の祖父が戦時中、武蔵に乗艦していました~自分が高校生の頃迄、履物店を営んでいました。一度は訪れたいとおもっています。
戦艦武蔵の中に、武蔵一宮氷川神社の分祀もあったとのこと。
武蔵一宮氷川神社の三の鳥居をくぐると左手にある❬戦艦 武蔵❭を顕彰する碑。戦艦武蔵は第二次世界大戦中に旧日本海軍によって建造された当時世界最大級の戦艦。この名は武蔵一宮氷川神社よりとられたもの。艦内神社には氷川神社が分祀され❬武蔵神社❭と命名して祀られていたそうです。昭和19年(1944年)米海軍の航空攻撃を一手に引き受けフィリピン近海であるシブヤン海に沈没しました。豪快でゴツゴツとした荒々しい石にキリリッとした素晴らしい文字が刻まれています。合掌。
第2次世界大戦中に建造さてた大日本帝国海軍の大和型2番艦で最後も大型戦艦。残念ながら最初の航海で撃沈された。その英霊を慰霊する碑。武蔵国からの由来の艦名で、実際この神社の祭神を艦内に分祠されていた。氷川神社境内三之鳥居をすぎて左。
大宮氷川神社境内片隅にある石碑です。ややもすれば見逃すような位置にある石碑、当初なぜ、大宮氷川神社に戦艦武蔵の碑があるのだろうと不思議に思ったのですが、解説石碑を読めば、戦艦武蔵の中に祀られていた社は、大宮氷川神社を分祀したもの、そもそも武蔵という名もこの神社が所以らしい。その縁から大宮氷川神社が顕彰碑の設置場所に選ばれたそうです。武蔵の竣工式には、氷川神社から宮司らが出向していた。
| 名前 |
戦艦武蔵の碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
048-641-0137 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
〒330-0803 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1丁目407 |
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神社の鳥居をくぐるとすぐ、左側にあります。とても立派な碑であります。