北条氏ゆかりの静寂な蓮の寺。
成福寺の特徴
北条氏ゆかりの菩提寺で、歴史が感じられるお寺です。
夏には色とりどりの蓮の花が美しく咲き誇ります。
駐車場や手洗いトイレ完備で快適な参拝ができます。
法要が行われていたため、御本尊は見ることができませんでした。蓮の鉢がたくさんあり、花が少し咲いていました。満開の時期に行くときれいでしょうね。御朱印と一緒にお檀家さんの手作りのストラップをいただきました。
北条家の菩提寺。平安時代、桓武天皇の流れを汲む伊豆国在庁官人平時家(北条時政の父、政子の祖父)の持仏堂が常福寺の前身だったそう当時は天台真宗親鸞聖人の門弟になった北条泰時の子、泰次が真言宗に改修、鎌倉にも正福寺があるそうです。
北条氏ゆかりの寺院で、元寇と戦った鎌倉幕府8代執権の北条時宗の子が建立した寺院と言われています。北条家の菩提寺です。住職がいらっしゃれば、御朱印を頂くことができます。
北條家一門の菩提寺です。
元寇を迎え撃った北条時宗の息子、北条政宗が敵味方の霊を弔って建立したとのこと。浄土真宗のお寺です。
北条氏ゆかりの禅宗の寺で、北条氏の墓もある。蓮の株が沢山(200鉢以上)あり開花が待ち遠しい。本堂も境内も墓地も綺麗に手入れされていて気持ちいい。地名には北条がつくが、北条の名字が周辺にはないが、この寺の住職は「北条」。大河ドラマ関連で訪れてみるのもいいかと思います。
8代執権の北条正宗が建立した自身の墓と父親の北条時宗の墓所が残ります。
元寇襲来を戦った鎌倉幕府8代執権北条時宗の三男「北条正宗」により建立されたお寺と伝わっております。また、境内には、父親の北条時宗、その室 覚山尼、そして正宗の墓が並んでおります。また、北条時政(初代執権 北条義時の父)の持仏堂であった場所で、その後、北条氏の菩提寺となりました。そのため、本堂北側には北条氏一族の供養塔があります。また、成福寺あたりも近くにあった北条邸の居館の一部であり、また、北条時政が源頼朝公と北条政子の新居として建てた別邸がここ成福寺と言われているそうです。立地的にも、成福寺より東に行けば、配所の地である蛭ケ小島に到り。西に行けば、北条義時(江間の小四郎)の居館跡に至る場所です。蛭ケ島公園には、源頼朝公と北条政子が寄り添った姿を写した「蛭ケ島の夫婦」というブロンス像がありますが、実際の二人はこの地で暮らしていたと思うと不思議な感じがします。また、政子の弟の北条義時もご近所だったんですね。
伝統有るお寺です。住職もとても話しやすい方です。
名前 |
成福寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
055-949-1099 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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伊豆の国韮山の成福寺を訪問致しました。まず歴史を調べてみますと、鎌倉幕府八代執権北条時宗の三男北条正宗が、北条氏発祥の地である伊豆北条村にあった北条時政の持仏堂を基に一宇を建立、それが成福寺となったとされます。また正宗は如信上人から教えを受けているため、成福寺は浄土真宗のお寺として執権北条氏の血脈を保ちつつ現在まで至っているようです。小田原北条氏の統治下においてでも、執権北条氏の血脈を保っていて、執権北条氏一族の菩提寺であるこの成福寺に対しては、他の地域で真宗寺院に対して行っていた移転、改宗、廃寺に追い込むような対応はとれなかった感じがしました。ただ成福寺でも小田原北条氏による禁教の影響はあったようです。このように由緒あるお寺であるため麻布の善福寺とともに小田原北条氏に対しての窓口として機能していた重要なお寺でありました。執権北条氏所縁のお寺で一回行ってみたいと思い、訪問させて頂きたい旨をお伝えしてから当日訪問。当日は新幹線で三島駅まで行き、三島駅からは伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り、韮山駅で降りてから歩いて15分ぐらいでお寺には到着します。お寺の周囲には高い建物がなく、正面の門から見えるお寺と晴れ渡った空にたなびく白い雲とのコントラストが綺麗で、境内も綺麗に整えられており、成福寺の名物の約200種類にもわたる綺麗な蓮の花がこの時期には咲き誇っています。事前にお伝えしていました時間には住職様がお待ち下されていてご挨拶をさせて頂いた後、本堂にてご本尊様を参拝させて頂きました。(住職様は非常に温厚で優しい方でした)その後、お寺の歴史についてのご説明からそれ以外にも色々とお話し下さり、特に私の日々の生活において出てくる反省、後悔という思いを、真宗の教えに照らし合わせて分かりやすく教えて頂けたのが大変勉強になりました。(また自己満足に陥りがちな自分の心も戒めて頂けた感じもしました)北条家家紋(正三角形の三つ鱗)の入った立派な御朱印も頂き、遠くから来られたからということで大変親切に対応して下さり有難うございました。