梅の紋が美しい法雨山甘露寺。
甘露寺の特徴
法雨山甘露寺は家康と阿茶の局が観梅を楽しんだ場所です。
梅の紋がとても綺麗で、訪れる価値があります。
1390年からの臨済宗寺院としての歴史があります。
御朱印いただきました。
法雨山甘露寺。弘仁年間(810~823年)に空海さんによって創建されたそうで、以来遠江国に於ける真言宗の中本山として栄えていたそうですが、長禄年間(1457~1460年)に京都南禅寺の伯英和尚の弟子に当たる傑堂和尚により臨済宗となったそうです。甘露寺と言えば有名なのが、家康公と阿茶局の観梅のお話。家康公浜松城在住当時、万斛村の古独礼庄屋総代である鈴木権右衛門氏のお屋敷には家康公の側室の一人、阿茶局が預けられており、家康公は度々鈴木家を訪ねては彼女を伴い、家康公自身が「未開紅甘露梅」と名付けた梅の古木を観賞する為に、近隣に位置する当寺を訪れていたのだそう。戦国の乱世を生きていた家康公の、ちょっと微笑ましい説話です。又、賀茂真淵氏の観梅歌会も有名です。その他、入り口の案内板、及び中門脇の案内板に当寺に関して詳しく書かれています。境内南側に弁財天。周囲に空濠が巡らされ、弁天島に橋で渡るように造られています。西側は墓地と、その北側に聖観音菩薩。中門の手前に甘露梅の案内板。梅の木も有りますが、家康公がご覧になった物は既に枯れてしまったそうです。元治元年(1864年)の火災でも焼失を免れた中門は、安土桃山時代の様式を残す浜松市指定有形文化財。これは一見の価値有りです。案内板で紹介されている懸魚や支柱のみならず、隅瓦の像が表と裏とで異なっている等、芸が細かいです。中門を潜って左手に鐘楼と稲荷社。正面のご本堂の左手脇を進むと古い稲荷社。恐らく鐘楼横に遷座される前の元宮なのだろうと推察しますが、それにしても荒れています。よしんば現在は使用されていないにせよ、割れたお狐様や破れたお神札などが散乱している状態で放置するのはいかがな物かと存じます。駐車場も整備されており、気軽に参詣させて頂けます。家康公所縁の素敵な仏寺です。
旧鈴木家屋敷跡(万斛庄屋公園)で、家康と阿茶の局が観梅を楽しんだという寺があると聞いて巡ってきた。万斛公園駐車場から歩いて5分程度であるが、この甘露寺にも駐車場はあった。広々として落ち着きのある清楚な寺院である。寺の中門の手前に、家康が「未開紅甘露梅[みかいこうかんろうめ]」と家康が名付け、阿茶の局と一緒に訪れ香気を称賛したという梅の古樹がある。但し、現在の古樹は当時のものではありません。因みに、全くの蛇足ですが、現在日本で現存する一番古い梅の木は、宮城県仙台市の宮城刑務所構内にある「臥竜梅」で、伊達政宗が文禄・慶長の役の際、朝鮮から持ち帰ったものだそうだ。《2023.2.2訪問》
梅の紋がとても綺麗でした。また参拝したいです。ありがとうごさいます。
元々は真言宗だったが、1390年(明徳元年)に臨済宗寺院となり、現在に至る。応仁の乱と幕末に火災により、幕末頃建立の中門と本堂が残る。特に中門は幕末らしく彫刻が多く浜松市指定文化財に指定されている。
名前 |
甘露寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
053-434-5320 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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寺って感じですね。