歴史を感じる鳥羽山公園。
鳥羽山城跡の特徴
鳥羽山城跡は徳川家康が二俣城を攻略するために築かれた城です。
ここには、今川家、武田家、徳川家が所有した歴史があります。
鳥羽山公園として整備されており桜の名所になっています。
はじめは二俣城攻略の足掛かりとして徳川家康が築き、武田勝頼から二俣城を奪った後は、二俣城の支城のようなあつかいとなりました。堀尾吉晴の時代に二俣城ともども、石垣を備えた近世城郭として再整備されました。曲輪がひとつだけのシンプルな構造ながら大手口がやたらと立派なことから、迎賓館のように運用されていたのではないかと推測されています。最寄の二俣本町からは西に進んで一〇分ほどです。二俣城とは天竜川沿いにある堤防の上の道でつながっています。史跡としての整備状況はいまひとつながら、二俣城とセットであれば十分に楽しめます。その際は鳥羽山城を先に見て、より見ごたえのある二俣城を後回しにするのをお勧めします。
◼︎鳥羽山城は二俣城を攻撃するために徳川家康が築いた城(という説)です。◼︎二俣城より大きな城郭で、曲輪、枡形門跡、石垣、庭園、井戸などが残っています。◼︎駐車場は鳥羽山公園駐車場が綺麗に整備されていて、そこからは徒歩5〜10分です。私は運動目的で二俣城から往復歩きましたが、車で移動しても良かったかも。◼︎枯山水の庭園や屋敷があったことや、大手道の広さからも、それなりの身分の人が住まいとして利用していたことが窺えます。◼︎木が生い茂っていて展望台からの見晴らしは良くありませんでした。
鳥羽山城趾は現在は鳥羽山公園として整備されています。メインの本丸跡まで駐車場からすぐに行くことができて便利です。城趾としては改変により城趾らしさは正直薄いです。かろうじて本丸跡が当時の面影を残しており、大手門跡、庭園跡、土塁などの遺構があります。展望台が設置されていましたが、木が茂っていて眺望はほぼありませんでした。鳥羽山城は天竜川に面する天然の要害で二俣城攻めに際し徳川家康が付城として築いたものですが、二俣城攻略後の資料は残されていないそうです。
戦国時代に徳川氏と武田氏の間で攻防が繰り広げられた二俣城の南側に位置し、二俣城の補完した別郭の城、大手道は見事な石垣に囲まれています。本郭跡は枯山水の庭園跡など遺構がしっかりと残った古城の雰囲気な満ちた空間でした。
戦国時代に武田と徳川が二俣城の攻防戦を繰り広げてるさなか徳川家康が二俣城の攻略のために築いた付城です発掘調査では二俣城より大きい城郭があったようでそれほど二俣城が重要な拠点だったことが伺えますお城という機能よりも砦として扱われた為、その後の城主なども居ないと思われます。
鳥羽山城跡(とばやまじょうあと)所在地 静岡県浜松市天竜区二俣町鹿島築城年 天正3年(1575年)築城者 徳川家康形態 山城(標高108m・比高60m)遺構 石垣・土塁・堀・曲輪築城年代は、定かではない様だが天正3年に武田方が籠もる二俣城を攻める際、徳川家康が本陣を置いた所である。当時は、天竜川が北側を流れ二俣城とは流れを挟んで対峙する位置にあったそうだ。限定御城印のために早朝から駆け足での撮影でした。
初めて訪れる方の計画に寄与するように自身の所要時間を記します。2022/11/9訪問。二俣城本丸から案内に従い鳥羽城に向かいます。5分ほどで山を下りきると天竜川の堤防に出ます。ぱっと視界が開けて美しい風景が印象的でした。鳥羽山ー二俣間は外せませんね。堤防から5分くらいで、鳥羽城の遊歩道に取り付きます。そこから10分ほどで、本丸です。全体を見るのに20分かかりません。大手門から南側の駐車場(南ノ丸跡)まで5分。更に5分ほど道路を東に下ったところに田代家、西神島駅への近道(歩行者専用)が分かれています。これはGOOGLE MAPでは表現されません。5分ほど下ると筏問屋田代家で、さらに15分ほどで遠鉄の始発西鹿島駅に到着です。遠鉄は日中12分間隔で運転します。他社ICカードは使えません。
2022/9/4二俣城とニコイチの城であったらしい。案内板にあるとおり、城は至る所が石垣で化粧されており、何らかの意図があったと思われる。秀吉を饗応するためとかだろうか。主郭周りはとにかく素晴らしい。
二俣城のすぐ近くにある鳥羽山城跡。このふたつの城跡は遊歩道で歩いて行けます。二俣城に比べると政治的な遺構があちこちに残っております。二俣城は比較的軍事的要素の強いお城、一方の鳥羽山城は政治的なお城というイメージです。鳥羽山城跡はとても長閑な雰囲気であり、二俣城跡よりも一層ゆったりのんびり過ごせるような公園になっております。
名前 |
鳥羽山城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
HP |
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/bunkazai/news/documents/hutamatatobayama.html |
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

このあたりは、激戦区だったようで、その時代時代で、所有が今川家、武田家、徳川家と所有が変わっていった城だそうです。今は、公園として、子供用の遊具があったり、市民の憩いの場所になっているようです。