可愛い狛犬に会いに、麦倉へ!
鷲神社の特徴
狛犬のかわいさに心惹かれる、参拝する価値ありです。
麦倉鷲神社の歴史は明応時代に遡り、由緒ある場所です。
何度も訪れてしまう、魅力的な狛犬が鎮座しています。
麦倉鷲神社(むぎくらわしじんじゃ)御祭神 天穂日命由緒麦倉の地は明応(1492~1501)の頃に開拓が行われた所です。領主の石川氏の館を倚井館と称し、その跡地である今の北川辺西小学校には記念碑が建てられています。領主石川氏は、俊重の代に羽生城主木戸氏と争い、永禄十一年(1568)に敗れましたが、残った家臣は天正年中(1573~1592)この地に入り開拓に努めました。その一人鳥海多津儀は、旧領主が延徳二年(1490)に勧請したと伝えています。鳥海多津儀は当神社の神主となり、麦倉の安泰と村民の安穏を祈りました。以来同家は当神社の社家となっています。「風土記稿」によると、鷲明神は明応(1492~1501)の頃勧請された村鎮守であると記され、また、神主鳥海家については、丹波の代で京都吉田家の支配を受けるようになり、その先祖は石川俊重の臣で多津儀という者が神主になったとあり、麦倉の地に残る口碑と一致しています。(埼玉県神社庁発行「埼玉の神社」参照)社殿前の玉抱え狛犬さんは大正十三年(1924)元旦に建立されたものです。社殿正面の壁面上方には、左右に右回り三つ巴紋、中央に鷲の図柄が彫られています。社殿左後方にある村社鷲神社新築記念碑には、大正十一年(1922)一月二十九日起工、同四月十一日竣工と記されています。麦倉鷲神社の裏手には、廃川となった「合の川の跡」があります。現在も立派な堤防が残っています。「合の川(間の川)」は江戸時代に利根川が東遷させられる前の流路の一つで、「北利根川」とも呼ばれ、渡良瀬川に繋がっていました。(「山と溪谷オンライン」参照)
ここの狛犬が大好きで、何度も参拝してます。とても愛嬌のあるフォルムに一目惚れしました。大正時代の狛犬で個人奉納らしく、他では見た事ありません。阿の狛犬の下顎が損壊してるのが可哀想です。狛犬好きな方に是非見て頂きたいです。
狛犬がカワイイ。
名前 |
鷲神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.2 |
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確かにここの狛犬かわいいです。裏の遊歩道は桜の時期は絶景だと思います。また訪れたいです。