善性房ゆかりの東弘寺で心安まる。
高柳山東弘寺の特徴
薬師如来像が本尊となっている寺院です。
敦賀藩の開基で親鸞聖人の高弟が関与しています。
比叡山で出家した周観の歴史を感じられます。
ご住職にはお世話になっておりますm(_ _)m
両親のお墓があるので、また、お寺に行くと思う。
善性房は、後鳥羽院の第三王子但馬の宮正懐親王で、順徳院の弟にあたる人といわれ、出家して比叡山にのぼり、名を周観と改めた。公家の出で、仏門に入ったことなどは、親驚聖人とよく似ている。 仏教を学んだ周観(正懐親王)は、優秀な成績で将来を嘱望されたが、山上の名利の争いを嫌い、建保6年(1218)20歳の時に山を降り諸国行脚を決意した。そして、下総に入り国守豊田四郎治親のもとに留まることになる。ちょうどその頃、親鸞聖人が流罪赦免により、越後から関東に入国したことを聞き、小島(下妻市小島)の地に聖人を迎え、その教化を受け弟子となった。その後、親鸞聖人が稲田の地に庵を結んだ析、他力本願の真髄を学び善性房と法名を授けられた。
真宗大谷派 高柳山信順院東弘寺ご本尊 薬師如来像親鸞聖人の高弟、善性坊の開基。二十四輩第9番。東弘寺の扁額は山岡鉄舟の筆によるもの。寺宝七難分毛は日本三毛の一つ。
| 名前 |
高柳山東弘寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0297-42-8701 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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親鸞聖人の関東時代における高弟のうちの一人、善性房の常総市「東弘寺」を訪問いたしました。・開基の善性房は寺伝によりますと後鳥羽院の皇子で比叡山にて出家後しばらくしてから下山し、関東で親鸞聖人のお弟子になった。(なぜ後鳥羽院の皇子が聖人のお弟子になったのか少し疑問があったので色々と本を読んで勉強してみる)・下総で豊田城を中心に治めていた豊田氏と関係が深い。・東弘寺の扁額は山岡鉄舟の筆によるもの。由緒あるお寺で行ってみたいと思い、電話で参拝させて頂きたい旨をお伝えする。当日、関東鉄道常総線に乗り途中水海道駅で乗り継ぎをして南石下駅という無人駅で降りる。お寺には駅から歩いて5分ぐらいで到着した。ぱっと見た目立派なお寺で境内を見学後、法事でお忙しい中、合間の時間で住職様に対応して頂きました。本堂へと案内して頂き、ご本尊様を参拝。色々とお話しも聞かせて頂きまして御朱印も拝領しました。その後ご開基様の像のある堂にも案内して頂きとても貴重な体験でした。お忙しい中対応して頂きまして有難うございました。