松尾芭蕉の足跡を辿る黒羽の旅。
修験光明寺跡・芭蕉句碑の特徴
松尾芭蕉ファン必見の修験光明寺跡がある場所です。
奥の細道に関連する歴史的な名所でもあります。
訪れると、芭蕉の足跡と共に静かなひと時を楽しめます。
関東ふれあいの道のチェックポイント。
〔奥の細道〕の旅で黒羽に滞在した芭蕉は、元禄2年(1689)4月9日(現在の暦で5月27日)に〔修験光明寺〕に招かれている。その修験光明寺跡に、芭蕉句碑が建っている。夏山に足駄を拝むかどでかな はせを足駄とは、役行者小角(その像が安置されていたという)が用いたという高下駄のこと。
hoの単なる記念碑(原文)just a monument of Basho
奥の細道 第8の段「黒羽」では、4月3日(陽暦5月21日)から4月15日(陽暦6月2日)まで滞在しているが、その主たる拠点は黒羽の大関家館代浄坊寺何がし(正式には浄法寺図書高勝 俳号は桃雪)の弟 桃翠(正式には岡忠治豊明 俳号は翠桃が正しいようである<固有名詞の誤記はお約束どおりなので大分麻痺しています>)の宅で、曾良旅日記によると、ヨゼ(余瀬)という地名で、この辺りであったと思います。 長雨で足止めされた芭蕉一行をこの兄弟は手厚く接待し、多くの俳句の会を開き、俳諧が残されています。この光明寺は4月9日に招かれたとあります。現在、本文にある「行者堂」は無く、安倍能成書の句碑が残されています。ここで詠まれた「夏山に足駄を拝む首途哉」は解釈の難しい句である。物理学を学ぶには数学が不可欠なように、「平家物語」や三島最後の作品を読むには仏教の知識が必要なようである。(未亡人の名作「源氏物語」は・・・)同様に「奥の細道」の解釈には多方面の知識が必要なようである。修験道の開祖とされる役行者(役小角)は呪術要素の強い山岳信仰で金剛蔵王権現を祀ると聞く。「山伏」を連想できる方ならば、それが修験道の修行に近いようである。蔵王山は修験道修行の地であり、吉野山から蔵王山に金剛蔵王権現を勧請されています。句にある夏山は蔵王山、広くは奥羽の山々。足駄を拝むは、修験道が行う山岳修行の健脚にあやかりたい という願い。首途は現在は門出と書くが、意図がないならば同じ意味であろう。長雨や、兄弟の手厚い接待を受け、旅が停滞してしまったが、いよいよ山岳の道程(ここまでは、比較的平坦な行程です)を進む決意を詠んだ句のようである。(蛇足ながら実際の出発は4月15日ですので、盛っています。)こういう文学的なところは、手前のような素人の記述よりも、専門家の記述をお読みになるほうが賢明でしょう。(あまり参考にならない投稿で恐縮です)「黒羽」で書きたいことは後述の「金丸八幡宮」で記載したいと思います。いい機会なので謝っておきます。投稿文書は外国語に訳されてるようですが、自分の投稿は配慮のない和文で申し訳ありません。
名前 |
修験光明寺跡・芭蕉句碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
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松尾芭蕉ファンなら是非ここも訪れたい。おそらく訪れる観光客はほとんど無いような雰囲気。