藤や牡丹に魅せられ、心躍る神社。
八幡大神社(針ヶ谷)の特徴
藤や牡丹が美しく咲き誇る神社で、季節感を楽しめます。
境内の清掃が行き届いていて、全体が小奇麗な印象を受けます。
旧村社として、地域の祭りや行事が賑やかに行われる場所です。
ここを見つけた時には踊りたいくらい興奮しましたね。(笑)まだこんな場所があったんだと思いました。こんなにいい藤なのに写真を撮る人が私だけなんて普通あり得ないですよね。いや、白、紫、ピンクがMIXしたいい藤棚です。八重黒龍藤もみっけ!
藤や牡丹溢れる神社⛩️季節には多くの参拝者で賑わいます💕
藤が咲いていた。藤の見頃はいつ頃だろうか🤔
小さな神社ですが境内の清掃がしっかりされていて綺麗な印象を受けました。御朱印は道を挟んで東側の宮司さん宅でいただけます。
普通にある村の鎮守さまのようですが、藤の花が綺麗に仕立ててあり見事でした。立派な藤棚もあります。
旧村社。御祭神:品陀別命(ほむだわけのみこと)、比賣神(ひめのかみ)、神功皇后。当社が鎮座しているこの辺りは、現在はほぼ田園地帯で、東西斜めに上越・北陸新幹線の高架が通り、西にゴルフ場の丘陵があり、藤治川が流れていて、針ヶ谷、山河地区と言う深谷市北西部、旧岡部町の一帯で、櫛挽台地と言う縄文期から平安期の集落跡があり、古くから開けていたことが知られている地域です。また、鎌倉時代にかけては、南に本郷地域との境辺りに鎌倉古街道も通り、その時代の武家豪族にとって重要な所領であったことが伺えます。資料によると、「由緒調査書」には、当社の由緒が次のようにある。創建は天平十七年(745)九月二十五日のことで、山城国男山八幡宮(石清水八幡宮)から分霊を勧請した。別当は弘光寺で、二三世の法印裕尊は、源頼朝の侍念僧として仕え、頼朝が伊豆に配流された際にその命を受けて源家再興のため、当社を祈願所として開運を祈った。満願の後、頼朝から弘光寺に一五〇貫の寺領と武具類が寄せられた。その後、天正年中(1573-92)に弘光寺は兵災に罹り寺領・宝物・古文書類の一切を失った。(以下省略)とあり、別当の弘光寺の説明の方が多くなってしまいましたが、弘光寺の由緒書きにも創建は天平十七年(745)相当とあり、それらの事から察するに、もともと古墳時代相当から集落があったこの地域に、745年という奈良時代中期に、それなりの勢力の豪族集団がこの地に住み着き領地化していった様子が伺えます。ちょうどこの頃は、743年に墾田永年私財法が施工され(要は中央の貴族を賄う荘園が足りなくなっていた)、墾田の奨励が地方に及んだ時代で、同時に中央権力者で藤原氏一族の勢力が衰え始め、その一族郎党には地方への移住を図ったものもあるだろうと考えています。その中の一族と当地を関連付けて考えるのは、まったくもって私見の領域ではありますが。神職の方が常駐の奇麗な神社で、参拝時、拝殿の扉が開けられていて、品陀別命(応神天皇)の描かれた立派な絵画額も拝見することが出来ました。今(8月)は季節でありませんが、境内西手に立派なお花畑があるみたいです。
5月と10月に行事があって、花がきれい。
藤の花がきれいです。お祭りも賑やか。
今日はお祭りです。春と秋にあります。春は藤とツツジが綺麗に咲いていました。藤棚の下はテーブルを置き、歌謡ショーを待つ人もいました。最近駐車場も広がり氏子さん達が交通整理もしていました。軽食も、購入できます。お墓参りの時に、放送があり知りました。藤が綺麗な所で知られる神社です。地元の小学生の巫女舞も奉納されます。
名前 |
八幡大神社(針ヶ谷) |
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ジャンル |
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電話番号 |
048-585-0607 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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書置きの御朱印いただきました。