春の桜舞う神秘の参道。
行事神社の特徴
御祭神は金山毘古神とされ、八幡宮や春日神社も存在します。
注連縄とは異なる珍しいお飾りが鳥居と拝殿の間にあります。
参道には春に美しい桜が咲き誇り、訪れる人を楽しませます。
御祭神 金山毘古神境内社 八幡宮、春日神社勧請縄のトリクグラスは、道切り、悪霊防除としてお祀りされるものです。
勧請吊りは珍しいです。
勧請縄 閏年なので小縄が13本あります。
鳥居と拝殿の間に注連縄でもない大きな縄で出来たお飾りがあり、目を引きます。勧請縄・勧請吊りと言うらしいです。結界としての役目を果たすそうです。
この辺りから北東に進むと時代屋のあたりの行畑一丁目辺りで街道は二分岐していますが、右側に進むと中山道、左側に進むと、な、なな、何と、朝鮮街道って呼ぶんだそうです、その分岐点にかつて立っていた道標が、中山道をすこしもどった蓮照寺の境内に保管されている。「左はちまんみち」とあるのが別称「朝鮮人街道」と呼ぶのだそうです。市の案内看板にはわざわざ朝鮮街道と表記してありますね。大雑把に言うと朝鮮人街道は凡そ41kmあり、その道程(守山)-野洲行畑-近江八幡-安土-能登川-彦根-鳥居本−そして中山道に合流するまでと言うことになります。なぜ八幡街道とかにしないのでしょうね?石碑にはそう書いてあるのにね?引用ではあるが成り立ちを見てみると、織田信長の時代、近江の国を縦貫する中山道のうち、野洲から鳥居本宿までの間、城下安土をとおり、もっと琵琶湖に近くて、便利で景色のよい新しい幹線道路が造られた。その後、関ヶ原の戦いで勝利をおさめた徳川家康が京都上洛時に通ったことから、吉例の道として将軍上洛の際に使われるのが慣行となった。参勤交代にも使わせなかったこの吉道を、朝鮮からの慶賀使節団である朝鮮通信使にだけは使わせたのである。鳥居本から、高宮・愛知川・武佐と、淡々とした湖東平野をあるく中山道にくらべ、彦根・安土・近江八幡と、城下町や琵琶湖の水郷地帯など変化に富む朝鮮人街道の風景のあでやかさはどうであろう。朝鮮人街道の沿道に住む住民の密度の濃さはどうだろう。大きな湖をもたない朝鮮の人たちは琵琶湖にこよなくあこがれていた。朝鮮通信使は二代将軍秀忠のとき慶長12年(1607)を初回として、その後約200年間に渡り都合12回来朝している。朝鮮通信使は釜山から海路、対馬を経て瀬戸内海にはいり込むなどによりつつ、大坂から淀川を遡上して京に入った。京からは陸路、中山道・美濃路・東海道をついで江戸に至ったのである。
5月5日がお祭りの日です。近くに大行事神社もあります。
春は参道に桜がキレイに咲いていました。
名前 |
行事神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

社伝によると、神亀元年御上神社の神託を受けた三上宿禰海部廣国が勧請したのが最初である。毎年四年申日には、恒例の神事が行われた。また「三上別宮」とも称され、中畑、行合(現在の行畑)二ヶ村の総鎮守と崇められてきている。また社殿は、承知三年に慈覚大師が造営、延元二年には、沢弾正忠満が修造していると伝える。