豊臣秀吉公に運を祈る神社。
豊国神社の特徴
豊臣秀吉公と加藤清正公を祀る神社です。
JR長浜駅から徒歩5分の利便性があります。
金色の装飾が豪華で見ごたえがあります。
豊臣秀吉公をお祀りする神社です。稲荷神社も祀ってあります。直書きの御朱印を頂きました。ありがとうございました。
ツアーで黒壁スクエアに行った際、たまたま訪問、京都の豊国神社より規模は小さいが見所はある。
戦国時代に長浜を大きく反映させた豊臣秀吉公はじめ、加藤清正公などの豊臣政権を支えた英傑をお祭りする神社です。創建は慶長五年(西暦1600年)、秀吉公の3回忌に地元の方々によって建立されたんだそうです。関ヶ原の戦いが終わって江戸幕府が開かれると、秀吉公を祀ることが禁じられて社殿が取り壊されたそうですが、祭神は地元の有力者の家に移され、難を逃れたそうです。その後、神社はえびす様の別名で知られる事代主命(ことしろぬしのみころ)を祀る神社として復興。秀吉公の祭神は本殿の奥に戻され、江戸時代が幕を閉じるまで密かに祀り続けてきたんだとか。明治維新後は「豊国神社」という当時の社名が復活、秀吉公の三百回忌に当たる明治三十一年(西暦1898年)に拝殿が再建され、現在に至っています。
豊国神社の前身である豊国社は、慶長4年(1599)の京都における豊国社の造営を受けて創始されました。 それは、慶長5年(1600) 8月18日のことで、 現長浜八幡宮のお旅所内に社(やしろ)を置いて、 「豊国大明神」と称しました。 しかし、元和元年(1615) に 「大 「坂の陣」 で豊臣家が滅亡すると、 長浜の豊国社も廃止に追い込まれてしまいます。その後、寛政4年(1792)に至り、お旅所にあった豊国社の旧地に、 蛭子神 (えびす) 社と合わせて豊国社が祀られ、 弘化3年(1846) には秀吉公250回忌にあたり、 社前に石燈籠や釣燈籠が奉納されています。 明治維新になって豊 (みのり)神社と改名し、 明治25年 (1892) には社地を現在地附近に移して、大正9年(1920)に豊国神社と改名しました。曳山祭の起源を秀吉公に求めるように、 長浜町人の秀吉公への信仰は根強いものがあります。 左図のように、 個人宅でも秀吉 を持ち、それらを礼拝する慣行があったようです。 この町民たちの秀吉公への信仰の核となったのが、この豊国社であったといえる。
長浜駅に近く参拝しやすいです。御朱印は「豊公」と豊國神社と「出世稲荷神社」の二種類があり、豊国神社の御朱印は揮毫していただけます。また、「豊公」の方は書置き専用の御朱印があり、こちらも授与所で受け取れます。境内には加藤清正公の銅像や「虎石」があります。ここから、知善院(拝観に予約がおすすめ)・大通寺・舎那院・長浜八幡宮と参拝しました。
JR長浜駅前の黒壁スクエアメインストリート内にあり、豊臣秀吉公はもちろんの事加藤清正公等も祀られた神社だそうです。また神社内には出世稲荷神社や不思議な言われのある神社なども祀られており、かなりのパワースポット☝️だと思い、お参りさして頂きました。有り難うございました。😀
毎年1月10日は十日戎で多くの参拝客で賑わいます。地元の信仰厚い神社です。周辺に駐車場が少ないので祭礼の時などは駅前周辺に止めて歩いて行くのが賢明です。
豊臣秀吉公の功績、、、恵比寿天に置き換えて存続をするために色々と感慨深い参拝でした!お稲荷さんも立派で立身出世にちなんでおりました。ご利益のある神社です⛩
駅からすぐですが、駅前の繁華なルートからは少し外れていますので人は割合と少ないのが魅力。御祭神は豊臣秀吉公、加藤清正公、木村重成公です。境内には、秀吉さんが愛した虎石初めて清正公の銅像など見どころ満載!神社前の道を少し東に行くと黒壁スクエアにも近くおすすめの神社です。
名前 |
豊国神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0749-50-4796 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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出世と勝運に御利益があるとのことでしたので、祈願させて頂き御朱印も頂いてきました。素敵な神社でした。