美浦村の静寂、神秘の大宮神社。
大宮神社の特徴
美浦村の杉並木を通り抜けると神社の静けさが広がる。
祭神には天照皇大神や日本武尊が祀られている。
行き届いた手入れの神社が地元の深い信仰を感じさせる。
入口にポールが設置されました。銅葺の屋根材盗まれたからかな?
今年の願朝参りに行きました。地区の皆さんが来ていた、新しい豊富を願いを託して来た。ここの大宮神社は、元は、稲敷市の阿波崎の大宮大神から、来たとの事で分社とも言われています。亡き祖父👴や祖母👵は、ここから、鹿嶋航空隊員を何千と送り出したそうです。だから、私にとって産砂の神様だそうで、亡き祖父👴や祖母👵に大事にするようにと話しがありました。私も大事にしていきたいです。
祭神は天照皇大神・日本武尊・天太玉命。御由緒は境内の由来板より引用します。「大宮神社は、旧信太庄安中二十四ヶ村の総鎮守で、御祭神は天照皇大神、日本武尊、天太玉命の三柱が祀られています。伝承としては白雉元(650)年の創立を伝え、生田長者満盛が氏神として創建し、伊勢大社の分霊を奉斎したこと、その後奈良時代に、その姓名が安中という地名の由来になったとも言われる安倍仲成が、朝廷の勅許を得て正式に勧請し、安中二十四ヶ村の総鎮守になったことなどが伝えられています。記録によると、天承二(1575)年と、元禄四(1691)年に社殿の再建が行なわれています。その後、大正九(1920)年の台風により社殿が倒壊したため、翌十年に再建されていますが、現在でも古材を含め再建前の旧状をよく留めているといわれます。現存の本殿は桁行三間、梁間三間の本体に回縁が設けられた規模の大きなもので、村内最大を誇ります。特に本殿の妻飾りは独創的なもので虹梁の唐草文や頭貫木鼻・組物の拳鼻などの彫刻は、元禄時代特有のものです。このような建築細部の様式から、江戸時代に常陸国を中心に活動し、成田山新勝寺の三重塔などをつくった我が国を代表する宮大工・桜井氏一門の作事によると考えられています。」明治6年村社列格、同40年供進指定。アクセスは、美浦村文化財センターを右手に見ながら北上、陸平貝塚の竪穴住居の前を通り過ぎ、さらに杉並木の参道を北上した先(いや長かった・・)に、ようやく広々とした境内に到着します。平成25年に大規模な修復工事がなされた社殿は、雄大にして優美の一言で、宮大工桜井瀬兵衛の造営の名残を見ようと御本殿に目をこらしました。
太玉様に会いに伺いました🤩✨🙏
美浦村の「陸平貝塚公園」を通り抜け約200メートル位の杉並木を抜けると静かに佇んだ「大宮神社」(神社の表記は「大宮大神」)地域の方に深い信仰があることがすぐ解る、手入れ行き届いた神社でした。比較的、本殿は新しいです駐車場から神社までの散策で3000歩程度の程よい散歩になります【愛称】明神さま【御祭神】天照皇大神 日本武尊 天太玉命【御由緒】本社の存する岡平は安中郷の中央に位置し、霞ヶ浦を望む風光明美な神域にあります。第12代景行天皇の御大生田長者満盛が此処に居住し安中郷を統率していた時、氏神として創立し崇敬していました。
陸平貝塚経由で到達できます。
とても静かでお気に入りの場所です。いつ行っても誰かに会うことも無くゆっくりお参りすることが出来ます陸平からの参道は夏は涼しく、冬は凛としていて歩く速度もゆっくりになります。地元の氏神様です。
金曜日の朝、美浦村にて〜👫👣🐍📷🐹・・・・大宮神社、散策です。場所は、陸平貝塚公園を通り過ぎて、其処から200m位の行き止まった所に有ります。大昔からの、歴史のある神社だそうで何回か建て替え改修されて、今現在に至っている様です。興味のある方は、一度行って見ては、如何でしょうか?🌱🐍👫👣🐍🍀📷🎬🐹
陸平貝塚から行きました。本殿の装飾の造りは、成田山新勝寺の三重塔などをつくった我が国を代表する宮大工・桜井氏一門の作事によると考えられているそうです。
名前 |
大宮神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
029-857-4454 |
住所 |
〒300-0404 茨城県稲敷郡美浦村土浦外十六大字入会字岡平1番地3 |
HP |
https://www.ibarakiken-jinjacho.or.jp/ibaraki/kennan/jinja/09072.htm |
評価 |
4.6 |
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若い時には肝試しとして利用させていただきました。夜に来ると常夜灯も無く、五感を研ぎ澄まされて少しの音でも怖くなります。仲間は怖さのあまり幻覚をみてしまった様で「貞子を見た!」とか言い出して皆は爆笑でしたが、その後何故か肝試しをやらなくなりました。我々の無意識の中に貞子が住んでしまったようです。