北畠親房ゆかりの城跡!
神宮寺城跡の特徴
南北朝時代の貴重な城跡で、歴史を感じられる場所です。
北畠親房が拠点とした、歴史的な舞台が広がっています。
県指定の史跡として、南朝の歴史を学ぶために訪れるべきです。
貴重な南北朝期の城跡です。南朝方の北畠親房がこの地に入り北朝方の佐竹氏等に攻め込まれて落城。近くの阿波崎城に移ったとあります。南北朝時代の城とは言え遺構がはっきりと残っており、後の戦国期にも地方豪族が城館として使用していたのでしょうか。曲輪が3つ確認出来、周りを堀と土塁で囲まれています。虎口や土橋、横矢掛かりの折れも見られきちんと整備されているのでとても登城しやすいのでオススメです。
なかなかの規模!南北朝期の神宮寺城跡は何処に。
観光的には見るべきところはあまり無いです。南北朝時代に興味があるか、城跡好き(石垣好き以外)ならどうぞ。駐車場はありませんが、路傍に停めれます。
駐車スペース有 トイレ無神宮寺城は台地の上に築かれた平城です。土塁と曲輪により区画された曲輪が残っています。南北朝内乱初期の東条壮は全盛期を迎えた東条氏の統治が確立していた。延元元年に北朝方の足利尊氏が東条五郷の一つ高田を佐佐木定宗に宛がう。高田郷を没収された東条氏は南朝に靡く。備えとしてこの神宮寺城を築いた。延元3年、南朝北畠親房は勢力立て直しのため陸奥へ向け伊勢を出航するも台風に遭い四散。東条浦に漂着。東条氏の案内で神宮寺城へ入る。同年、北朝佐竹義篤が大掾氏、鹿島幹寛、宮崎幹顕らを糾合し神宮寺城へ来攻。その後落城。
延元3年(1338年)、南朝の頽勢を立て直すべく奥州に下向する予定であった北畠親房が、常陸上陸後最初に拠点とした城。しかし北朝方の攻勢を支えきれず、すぐ近傍の阿波崎城に移ることとなる。県道107号の神宮寺交差点を左折してしばらく進むと看板が見えてくる。その看板から少し進むと、土塁・空堀が見事な姿を呈している城址があるのが分かる。これが南北朝当時の姿をそのまま残しているかどうかは定かではないが、郭の入り口すぐそばに立つ「北畠准后唱義之処」の石碑を見ながら、息子顕家の死後まもなく最前線に向かった親房の決意と覚悟のほどに思いを致すのも悪くないだろう。
あまり、パッとしません。道路から入って、すぐ右側が空き地みたいになっていて、残土?資材?が有りました!これじゃ〜(u003eωu003c)🐹🐹🐹ゎんゎん。
たまたま案内板を見つけました。南北朝時代の砦跡のようですが保存状態がとても良いです!
石碑がありますが、これといって何かがある場所ではありません。
わからない場所だ。
| 名前 |
神宮寺城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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南北朝時代の古い城跡。駐車場は空き地に停める感じ。夏場は草が生い茂っていて入っていくのが厳しい。