放出の歴史を感じる、阿遅速雄神社。
阿遅速雄神社の特徴
阿遅速雄神社には、重要文化財の巨樹クスノキがあります。
境内の狛犬や灯籠が、訪れる人々を出迎えます。
地元放出の名由来が刻まれた石碑が存在します。
境内にクスノキの巨樹がある。幹周り:6.00m、樹高:16m(現地説明板)大楠は鳥居をくぐってすぐ右側にある。大正時代の落雷により二本に分かれた主幹は途中で切られ補修されている。
柵があるため名物の御神木に触ることはできませんが、見るだけでも圧倒されます😄狛犬が2つずつあるのも印象的でした大きさは こじんまりとしていますが、掃除の行きとどいたキレイな神社でした✨1月中頃は、猫ちゃんはいないようです、寒いですもんね‥🐈
放出駅から徒歩で行ける神社で、熱田神社から盗み出した御神体の剣をこの地に放出された。ここに、この剣を合祀された。放出の読み方は、大阪の人以外には、読みにくい字ですが、ここに来て、このような由来を理解できて満足の参拝でした。ちなみに、この神社のご利益は五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、事業安定です。
阿遅速雄神社(あちはやお)古事記に記載されている大御神・阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこね)をお祀りしています。この方は大国主神と宗像三女神の多紀理毘売命の間の御子だそうでこれは別格の神様といえます。三種の神器の草薙剣は一時期この神社にあったとのこと。現在でも草薙剣のある熱田神宮と当社との間で神職の交流があるそうで、それが多分推古天皇の時代から続いているなら恐ろしくすごいことです。
氏神様です。お稲荷さんと楠の間にいらっしゃる神様は、なんと言う御名前なのでしょう。お賽銭箱はあるのに、名前が無い。あっ、おみくじ引くのを忘れた。大人用、子供用おみくじは、100円です。今日は、手水舎の次に御守りを買い、本殿と末社へ、詣でた。
自分が生まれ育った放出の名前の由来がこの神社の石碑に刻まれています。放出村と刻まれてるけど放出村に御神劔が放り出されたのか御神劔が放り出されたから放出村になったのか…。今度、宮司さんに聞いてみたい。賑やかな周りからかけ離れた静けさと佇まいがありまさに聖域がその空気を醸し出しているんだと感じます。また、お祭りの季節にお参りしたいです。
延喜式神名帳に記されている式内社で旧社格は郷社、江戸時代の頃は八剱神社と称されていたが延喜式式内社の比定を行った並河誠所により当社が延喜式に於ける阿遅速雄神社に当たるとして「阿遅速雄社社号標石」を置いたそれ以降阿遅速雄神社と呼ばれる様に成った。
子供の頃良く遊ばせて頂いた神社で、とても気持ちの落ち着く場所です。ごみごみとした町中にここだけ隔離されたような雰囲気のある神社です。
放出ハナテンの語源になったとされる神社です。新羅の僧が草薙神剣を新羅に持って帰ろうとして、神罰で放り出したのが、この近くだったそうで。どこまでが史実なのかわかりませんが。
名前 |
阿遅速雄神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
06-6962-0378 |
住所 |
〒538-0044 大阪府大阪市鶴見区放出東3丁目31−18 |
HP |
https://www.osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai4shibu/tsurumi-ku/04009achihayaojinja.html |
評価 |
4.1 |
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こちらの阿遅速雄神社(あちはやおじんじゃ)は、平安時代の法律などをまとめた延喜式(えんぎしき)の中の神名帳(じんみょうちょう)に記載されている「式内社」という神社なのだそうで、とても歴史のある神社だということが伺えます。またこの辺りの地名でもあり駅名にもなっている放出(はなてん)の由来にも深くかかわっています。天智天皇の時代、天智7年(西暦668年)に新羅の僧である道行が熱田神宮に祀られていた三種の神器のひとつ“草薙の剣”を盗み出しました。ところが道行が逃げる途中、難波津で大きな嵐に遭い、神様の祟りを恐れた道行は草薙の剣を放り出して逃げ出しました。そこからこの辺りが「放出」という地名になったのだとか(諸説あり)。その後、剣は無事に見つかり、熱田神宮へ戻されるまでの間、こちらの阿遅速雄神社に保管されていたのだそうです。神社の境内には大阪府の天然記念物にも指定されている樹齢400年を超える大きな楠(くすのき)や、大阪市内に唯一残る“おかげ灯篭”という江戸時代のお伊勢参りにちなんで献灯された石灯篭があります。