新緑の中の太田道灌の塚。
酒井根合戦場(首塚・胴塚)の特徴
マンションに囲まれた静かな一角に位置する史跡です。
新緑が美しい首塚・胴塚で歴史を感じることができます。
太田道灌が戦没者を弔ったとされる貴重な場所です。
太田道灌と千葉孝胤(のりたね)の戦での塚であるとある。1478年12月10日に起こった戦いは1日で勝敗が決まり、負けた千葉孝胤(のりたね)は臼井城にしりぞき、立てこもったとある。千葉の先陣の原二郎、木内は悉く(ことごとく)戦死をしたと記録されている。道灌は敵味方の区別なく、一視同仁に弔って、首は首、胴は胴、武具は武具とよりわけて、首塚、胴塚、刀塚の塚を造ったと伝えている。どれが、首塚だ、これが胴塚だ、という事もないので、3つあるといわれて2つしか残っていないので、分かり易く上から順に、首塚と胴塚、と云われていると思われる。が、その歴史的価値は変わらないだろう。余談で、地名の“さかいね(境根)“が“さかいね(酒井根)”にかわったとある。読みは同じで、漢字が替わったわけである。由来は後人のかこつけで、と釘をさすが、井戸の水が酒のように酔わした事がゆえんであると書かれている。いくさ後に池があったようで、そこで身を清めたとある。そのかたわらに井戸があり、そこでのどを潤した、とある。___________________❺【参考 緑につつまれた光ヶ丘団地風土記 1982年】太田道灌は激選で憤死した霊を伴う為、敵味方の区別なく一視同仁に弔って、首は首、胴は胴、武具は武具とよりわけて、首塚、胴塚、刀塚の塚を造ったと伝えている。今光ヶ丘団地の片隅に首塚と胴塚がある。周辺にもいくつかの塚があったようだが、今は住宅などが建ち並び、原形をとどめていない。____________________❸【参考 千葉県東葛飾郡誌 1970年】酒井根合戦場今なお数十の小塚がある。人馬の朽ち果てた骨、小砂利(じゃり)などを多く出している。此の地は“境根原”につくり、文明年間に太田道灌(どうかん)が千葉孝胤(のりたね)を破った有名な古戦場址である。今残れる塚には首塚、胴塚等の名を存せり、又、酒井根の名がつく由来の口碑がある。同地にある池(金掃除266番地)で、道灌以下が手を洗って身を清めたという。かたわらにある井戸にて水を飲むと、大変に酔ったという。井の水が酒に飲めたりということで、酒井根の文字を使用するに至ったと、これは後人の仮託(かこつけること)のみ。[所在] 十村_酒井根及び小金町_飛地一帯_____________________❹【参考 日本歴史文庫 明治44年(1911年)】鎌倉大草紙太田道灌、下總国国府台に陣取り、仮の陣城を構えた。文明10年(1478年)12月10日、千葉孝胤(のりたね)は原次郎、木内を先陣として、下総国境根原へでばる。道灌馳せ向い、合戦をはじめ、終日戦い暮らし、孝胤(のりたね)は打ち負けて、木内、原以下、ことごとく討ち死にする。残黨(ざんとう・生き残った者の意味)は臼井の城に楯て籠る。と此処であった合戦の既述がある。__________________細かい墳丘の寸法が書かれている。これによると遺物はなかったとある。掘り返したとも見えるし、でないとも見える。❷【参考 柏市史 1997年】光ヶ丘塚群(光ヶ丘1768、他)首塚、胴塚等と言われているもので、光ヶ丘団地造成により2基の塚が残されたが、他の塚は姿を消していった。遺物、遺構等の検出はなかった。1號墳丘 径12m×13.5m 高さ 1.8m 円形 頂上は平坦 団地内2號墳丘 径11.8m×12.0m 高さ 2.2m 円形 頂上は平坦団地内__________________途轍もなく文章が長いのだが読んでみると要領を得ない。❶【参考 柏のむかし 1976年】光が丘団地は、日本住宅公団が建設した初めての大型団地で有名であるが、団地内公園広場のはしに、首塚、胴塚とつらえられる2基の塚がある。
マンションに囲まれた1角に首塚・胴塚があります。説明だと刀塚も伝えられたらしいですが今はないみたいです。戦死した者の霊を弔うため、敵味方の区別なく首・武具をそれぞれより分け、首塚・胴塚・刀塚にしたとあります。どちらの塚が首・胴なのかがわかりません。
新緑が、綺麗です。(^o^)
昔、昔、ジーちゃんに(ここで遊ぶな!)とよく怒られたな。
昔は首塚、胴塚と呼んでいました子供の頃は、良く木登りや缶けりをして遊んだ場所です、その頃は周りに滑り台やブランコ等も有りました。
団地の中心部にある、首塚です。
太田道灌が戦没者を弔った塚と説明板があります。周りは団地になっていますが特別な雰囲気のある場所です。
名前 |
酒井根合戦場(首塚・胴塚) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
周辺のオススメ

南柏駅からバス+徒歩で10分、徒歩で25分ほど。光が丘団地内に位置し、駐車場はありません。太田道灌好きなら国道6号線近くにある根木内城跡(現根木内歴史公園)とセットで回るといいかも。敷地内に金木犀が数本あり、開花時期はとても良い香りが漂っていました。