葛山氏の歴史を感じる城跡。
葛山城跡の特徴
曲輪群や堀切が明瞭に残る、歴史的価値のある城跡です。
至る所に土塁があり、山城の特徴が色濃く残っています。
整備が行き届いていて、特に紅葉の美しさが楽しめる場所です。
2019/3/9この葛山城はずっと行きたかった城。確か伊勢宗瑞の息子の誰かが養子で入ったような気がする。その後北条、今川で揺れ、最終的には武田氏に従ったが結局は排除されてしまった。城跡は南側の仙年寺がおそらく居館跡と思われ、そこから登ってすぐ。主郭両端を二重堀切で切り離しており、特に東側の堀切が立体的で素晴らしい。
葛山氏の居城で大手曲輪から本丸周辺までよく整備されており散策するのに最適堀切が明瞭に残されている畝状竪堀群が特徴的だが薮に覆われて移転画像だとややわかりにくい。
きれいに整備されていて、散策しやすい。堀切や、草に隠れて確認しづらいが畝状竪堀がよく残っている。すぐ近くに、葛山氏の居館跡もあり、土塁が見ごたえある。
最寄りの岩波駅から徒歩40分ほどで徒歩でもなんとか行けます。東にある大手道入口がGoogleマップに載っていませんので、仙年寺裏手から登城し、大手道を下山するのが迷う事もなく安全です。とても広大な城域ながら土塁や堀切の保存状態もよく素晴らしい山城です。駅からの道中には御宿新田という地名があり、田畑に豊富な水量の灌漑水路がそこかしこに流れ、善政を敷いたんだろうと感じます。また葛山氏と重臣の住んだ平時の居館もありますので併せて訪問しましょう。重臣宅はご子孫がお住まいですが。仙年寺には葛山氏や重臣の子孫が先の大戦で戦死した大きな墓もあり、所属した陸軍や海軍の名が刻まれています。また源頼朝が行った富士の巻狩り、あるいは現在も陸上自衛隊の演習場が近辺にあるわけで、「もののふの里」のキャッチコピーは今に続いてるんだなと思わせますね。武田・北条・今川の境にあった要衝の地、実は今もJR東日本と東海の狭間にありましてSuicaやPASMOは国府津より先の御殿場線では使えず地味に面倒なのです(笑)
各曲輪の土塁・縦堀等が良く残っている👍麓の寺に案内図が置いてある🎵各々持ったな❗葛山氏の事はタダで小山町で頂いた町史でお勉強👀👍🎵R3年。
紅葉がきれいです。
鎌倉時代から戦国時代にかけてこの地を治めた葛山氏の山城。地元保存会によりよく整備され当時の状況がよくわかる史跡となっている。城は愛鷹山から続く尾根の山頂部を階段状に平らに削って中央に本丸を設け,左右に曲輪を配した並郭式の山城。本丸(主郭),二の丸(二の曲輪),西曲輪,東曲輪,大手曲輪,帯曲輪に,いくつかの堀切から構成されている。
とてもよく整備された城跡です。“仙年寺”の駐車場を利用して、境内裏手にある階段から、頂上を目指すのが最短かつベターですね。または、大手口から、ゆっくりと全体的に散策するのもありです。こちらも整備され、とても歩きやすい環境でした。
駿東に勢力を持っていた葛山氏の居城。城址保存会の方々により整備され中世山城の形態を良く残している。
名前 |
葛山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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地形を巧みに利用して、曲輪群が形成された知名度は高くないが、中々立派な城であった。保存の為に地元の方の大いなる努力に感謝です。