富士山と駿河湾の絶景校舎。
静岡県立吉原工業高等学校の特徴
新しくなった制服は賛否が分かれるデザインです。
富士山と駿河湾を一望できる絶景の校舎が特徴的です。
まさき先生の授業はいつも楽しく、個性的です。
まさき先生がとってもキュートでいつも授業が楽しみです!
この学校は軍隊です。顎です。
みんなのアイドルここなちゃんが学校を辞めてしまったのでこの学校にもう価値はありません。
Yoshiwara Vs Fujimi Attack Number One Kozue Ayuhara ❤
とんでもねぇ学校です。
1つ言っておきます、絶対に青春したい人は来ない方がいいです。ほんとになんも出来なくてつまらない3年間になります。まず学校にケータイを持ってきていけない時点で終わってます。
工業系の道へ進みたいならぜひ。なんとなくで入ると後悔の3年間になります。
まるでダメ。新校舎と言いながら絶えぬ雨漏り。エアコンどころか扇風機もない、携帯はダメ。WiFiもダメ。1クラス全員がパソコン使うのもギリギリ。体育はまさに軍隊。授業の4分の1、酷ければ3分の1が準備体操とサーキットで終わる。マラソンに関しては喘息で走れない人に慈悲もなし、容赦なく赤点。自由なんてほぼない。挙句、備品持ち出ししている生徒が居たと伝えれば「それでどうしてほしいの?」と生徒に問う始末。頭髪服装検査では深爪になるくらい爪を切ってもダメと言われる謎。制服はまさに苔。保育体験先でさえ苔と言われるほどの酷さ。ホームページは1番大事な年間行事予定の場所が4年ほど前から一切更新されないまま。可笑しい。こんなのが母校とか恥ずかしくて自慢出来ない。
もともと、大昭和製紙が母体の私立校。名称は聞いた事があるけど、正式には知りません。場所は、鈴川、吉原駅の近くなのか、何処にあったのでしょう。静岡市内にも機械関係の会社が関わる工業高校がありました。私立校が比奈の高台へ移転し、県立工業高校に変わり、工業高校に普通科の進学校から文系(国語)の教師が来て、長年の経験で教え方が上手かった。担任だったのと要点を惜しみ無く教えてくれたので、尊敬しております。工業科目は、見習い、新米さんがいて、教師の経験がなかったのに担任になったりして、生徒が十八歳頃の微妙な思春期の気持ちをまったく弁(わきま)えていなかった。就活指導はなかった!特定の教師と生徒の間には、あった筈!何故、高専や工業高校が設けられたのか経緯は、敗戦の復興のため、即戦力のある労力が日本の国には急務だった時代的な背景があったようです。今更ながら母校だと懐かしむことはしたくないが本音!卒業後は、誰しもそれっきりな感情が確かにあります。それぞれ進むべき道を歩んでいるのだから、それはそれで良いではないと思います!遡るけど、どこでもある校歌がなかった。私立校の応援歌が校歌の代わりだった。担任だった文系(国語)の教師が知り合いの先生「井上 靖」さんにお願いして、校歌を作って頂く事になったと言っていました。一週間ほど経って、今日、井上靖先生が来るから静かにするようにと言った。(笑)当時、既に文豪の井上 靖夫妻が、校庭から遥か駿河湾の方向を見渡していたのを、2階の教室から見ました。余談になりますが、富士市富士見台の高齢(83歳)の方の自宅へ伺った時「努力の碑」は私が探して来ましたと言っていました。その時、この歳でも毎日、健康法でプールへ行くと言っていました。その方の経歴は、沼津高校から京大に進み、大昭和製紙に就職。総務部長の時、製紙滓(かす)を川に放流した問題がクローズアップされて、責任を被されて大変だったと述べておりました。また、井上 靖氏とは同じ沼高と話されていました。
名前 |
静岡県立吉原工業高等学校 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0545-34-1045 |
住所 |
|
HP |
http://www.edu.pref.shizuoka.jp/yoshiwara-th/home.nsf/IndexFormView?OpenView |
評価 |
3.3 |
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制服が新しくなりましたが、個人的には以前の制服の方がデザインや色調が好きでした。校風はとても素晴らしいと思います。先生方は、厳しさと優しさを持って生徒に接して下さいます。(全ての先生とは言えませんが…)