戦国の歴史を感じる有岡城跡。
有岡城跡の特徴
有岡城跡は戦国時代のキーポイントで、黒田官兵衛が幽閉された有名な城です。
JR伊丹駅から徒歩5分、城域全周囲を囲む巨大な堀の痕跡が魅力です。
日本最古の天守台を持つ平城で、国指定城跡として歴史が感じられます。
伊丹段丘の東端、猪名川に接した地形にある城。国指定史跡。織田信長に気に入られ、池田氏・伊丹氏に台頭して摂津守護となるも、信長に謀反を起こした荒木村重が本拠としていた城。本来は伊丹氏の居城で伊丹城と称していましたが、伊丹氏が荒木村重によって滅ぼされるた荒木村重の城となり大規模な改修がされます。侍町や町屋地区も堀や土塁で囲んだ惣構えと呼ばれる長大な縄張りを持った城でしたが、荒木村重が落ち延びた後にほどなくして廃城に。その後の開発もあり、城だった面影は無くなっていきます。伊丹駅前に主郭部と堀の一部が僅かながら残されています。曲輪を登っていくと、説明板や井戸跡が、奥には当時の石垣の一部があります。転用石が用いられた石垣で、荒木村重が改修を行った際の石垣かと思わせます。専用の駐車場はありませんので、近くの有料駐車場を利用することになります。路駐が出来なくもなさそうですが、人も車も多いのですし保証出来ません。
有名な有岡城跡。信長が攻めてくると聞いた荒木村重が茶碗一つを持って逃げた逸話。かろうじて昔日を忍ばせる遺構が残っています。
戦国の歴史のキーポイントの一つでもある、イベント拠点。雰囲気は感じるのだけれども、と、行った感じ。数ある駅前の城趾のなかでも、遺っていれば相当なものなのだが。ここも、公園化としてる。掘れば、いろいろ出てくるまのかな?駅前ぐるっとひと回り。村重さんの、往時が偲ばれる。
城の遺構はほとんど残っていないですが、戦国時代はかなり巨大なお城だったそうです。織田信長に反乱を起こした荒木村重は1年以上この城に立てこもっていました。村重に説得に訪れた黒田官兵衛が幽閉されたことでも有名です。
石橋阪大前駅の近くに用事があり、その帰りに何か無いか探してみると、ここを発見しました。歩いてくるには少し遠かったですが、アップダウンそんなに無いので、歩いてでも来れます。山の城趾に比べたら整備されていて、良かったです。
城域が広いようです。遺構は駅の近くなどよくこんな場所に残っていたなと思える状態でした。黒田官兵衛が幽閉されていた有名な城なので、色々と想像を掻き立てられます。
戦国時代のハイライトのひとつである有名なお城だけに、訪れたかった城跡でした。荒木村重が抗い、黒田官兵衛が苦しんだところ。全く期待はしていなかったけど、何かいい。石垣の一部は当時のままとのことでしたが、この礎石も?切岸も?駅までの通路が堀切みたいになっていたり、駅前の道路が空堀っぽかったり、雰囲気でていますね。開発した人センスあります。
真田戦記有岡城(伊丹城)兵庫県伊丹市伊丹1丁目12本年度の初戦は地味ながら有岡城に向かいました。この城は織田家臣・荒木村重の城として有名ですが、何より黒田官兵衛が1年以上幽閉されていた城として有名です。黒田官兵衛はこの幽閉が尾を引いて晩年は片足を患いました。さて城主の荒木村重ですが一度は織田家に臣従し、武功をたてましたが、本願寺・毛利の調略に乗ったのか、何を思ったのか急に織田家に反旗を翻しました。明智光秀や黒田官兵衛の説得にも応じませんでした。1年間籠城しましたが、信頼していた高山右近・中川清秀らが織田方に帰参した為劣勢に陥り天正7年(1579年)9月に単身で尼崎城に脱出しました。残された婦女子122人は尼崎付近で処刑されました。JR伊丹駅やイオンモールが隣接しており、今はひっそりと生活空間の一部となっています。
JR伊丹駅から阪急伊丹駅の間、有岡城跡を始め、12月5日から25日、17時から21時 まちなかイルミネーションがあちらこちらで開催されてました。神戸三宮のルミナリエの様にまだ知られていませんが、子供達は道に映された映像を追いかけ楽しでいました。
名前 |
有岡城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-784-8090 |
住所 |
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評価 |
3.5 |
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JR伊丹駅のすぐ横です。余りに見るところが無くて、逆に驚いた。残ってるのは、城址のほんの一部なんでしょうね。名残りが感じられるのは、石垣くらいかな…私は、阪神尼崎駅バスターミナル〜伊丹中央のルートで行きました。