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赤見山磯野寺といいます。推古天皇八年(600年)赤見の境宮内には霊水が湧き出しており明治初期まで美しい蓮池があり蓮の花が咲き薫っていたと伝わる場所で、聖徳太子(厩戸皇子)が御臨幸になり桂の木から病気平癒を祈念し慈像を刻み一宇を建立し「赤見山磯野寺」と号したと伝わります。観音堂は赤見神社境内の一段高い場所に建てられていて御本尊十一面観世音菩薩は観音堂の中央に立派な厨子に納まり祀られています、像の右手側に錫杖が添えられていていますが錫杖を握ってはおらず与願印の手になっています、錫杖が添えられているのは奈良桜井の長谷寺観音信仰の影響があったと思われます❰赤見神:延喜式内社❱のあるこの場所は古くから「赤見の里」と呼ばれていて赤見神社の御祭神第二十七代安閑天皇(531年~535年)の皇后の春日山皇女(山田赤見の皇女)に由来するといわれています。磯野寺は神仏習合時代には赤見神社の神宮寺であったため境内を境内を共有しています。安閑天皇は神仏習合時代に蔵王権現と同一視されていたと伝わります。