明智光秀が見た比叡山。
坂本城 本丸跡石碑の特徴
坂本城本丸跡は、赤い石碑が特徴的な史跡です。
残存石垣や瓦の出土があり、歴史の深さを感じられます。
明智光秀がここにいたことを実感できる感慨深い場所です。
かねて行ってみたかった坂本城址を散策。本丸跡はどこかの会社の研修センター跡地となっており、僅かに石碑で本丸跡地と分かるだけ。しかし、興味深いのはその脇にある畑の畦道を通り、案内板の通りその先の葦原を抜けると琵琶湖の湖水に埋もれし石垣の跡が。かつて坂本城が水城と言われた所以かと思うと、当時の面影を偲ぶことが出来ました。
坂本城跡は既に民間の会社が建っています。細い畦道を通って琵琶湖に出ると、城跡の石が見えるそうですが、私が行った時は琵琶湖の水が満々とあって見ることが出来ませんでした。戦国武将の居城の跡地が民間に使われているとは、やはり光秀が敗者であったことも影響があるのでしょう。
琵琶湖の水位が下がって、今日は残存石垣が少し見えてました。対岸の三上山の光景は光秀さんの時代と同じなんでしょうね。
2021年5月現在は本丸があったとされる土地は私有地のため見学できません。道路の路側部分に明智光秀の家紋が塗装されていました。
湖中の石垣跡は見れませんでした。
中中大変な場所にあります。入口の看板Yahoo他を見逃さないように!ブッシュの中の小道5分程度で湖面へ 。明智の桔梗紋が、道路に記されています。湖面の中を想像しましょう。解説版があります。
琵琶湖の渇水時に、石垣の遺構が姿を見せた事でニュースになった事を思い出します。近5年辺りならまだしも、それまで明智光秀に対する評価がよろしくなかった事もあって、市や県によって公園整備される事なく1960年代まで田畑だった遺構も、やがて1970年代になると整備され、私有地となりました。後に話題になった石垣の遺構を見物に来る歴史ファンを見越して公園整備へと動こうと思いきや、私有地へと変わり果てた本丸跡、時すでに遅し。歴史的価値の上がった土地を簡単に手放す様な者など居る筈も無く、結局は実際の城の遺構すら無い、”無関係の土地”に『坂本城址公園』というものを苦し紛れに造り、体裁を取り繕う為、明智光秀像を、それと無くしれっと設置するお粗末ぶり。市や県の失策によって本丸推定地であるキーエンスの保養所と、ガソリンスタンド建設により、遺構は更に破壊され、荒らされてますが、今後どうなる事やら…。
美しい城だったらしいです。近年琵琶湖に沈んだ石垣の石などが発見されました。
坂本城はもう目に見える範囲では残っていないですが、湖中に石垣が残っていたり、瓦が出土しているという情報をみて、本当に坂本城がこの地にあったんだという気がして感慨深かったです。
名前 |
坂本城 本丸跡石碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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坂本城本丸跡。正に水辺の平城。今はほぼ何も残ってませんが、当時の重要拠点として、叡山や堅田等に睨みを利かすには最高の立地だったのでしょう。