ジョン万次郎生家で偉人の息吹を感じよう。
ジョン万次郎生家の特徴
ジョン万次郎の生家は、藁葺き屋根が2020年にリニューアルされ美しいです。
当時の資料に基づいて、細部まで忠実に復元されています。
ジョン万次郎の生誕地は、高知県土佐清水市の小さな漁村に位置します。
他の方も書かれていますが、無料でいろいろ見て回れました。民家の中に展示があるのでお静かにって感じっです。展示の目玉は家の復元みたいです。
無料で建物内部までみれます。車で行く場合、近くに区長会場または中浜駅コミュニティ会館前に少しの間停めさせて頂き生誕の家(復元)まで細い路地を歩き見に行きました。付近は生活道路で住宅地なので静かに見せていただきました。昔の方の生活感が垣間見れました。凄く良かったです。
小さな漁村の小さな家でした。日中は無料で見学できます。車で入っていけない路地を進みますので注意してください。記念碑はここから徒歩3分ぐらいの所にあります。
西川様 先日はジョン万次郎生家で丁寧なご説明をしていただき大変有難うございました。また地元の珍しい貝殻などを沢山お土産に頂きまして恐縮しきりです。とても楽しい時間を過ごさせていただきました。
【高知県土佐清水市‐ジョン万次郎の生誕地】歴史で習うジョン万次郎の生誕地は高知県土佐清水市中浜。足摺岬から少し離れた場所ですが、足摺岬と共に訪れていただきたい場所。中浜(中ノ浜村)の貧しい漁師の家に生まれたジョン万次郎。天保12年(1841年)に出漁。足摺岬の南東15キロほどの場所で操業中に強風に襲われ難破。伊豆諸島の無人島『鳥島』に漂着し海藻や海鳥をとり143日間生き延び、アメリカの捕鯨船が鳥島に寄った際に救助されてハワイ経由でアメリカ本土に。現地の学校を卒業し捕鯨船員などで生活。ハワイにわたりそこから上海行きの商船に乗り込み、琉球経由で薩摩に。10年ぶりの日本帰国を果たした。翌1852年、11年ぶりに故郷に帰り母親と再会を果たしている。アメリカ生活での経験や英語力を高く評価され土佐藩の武士(士分)取り立てられ、後に江戸幕府の旗本になり日米和親条約の締結に尽力。人の運命とは分からないものでもし漁船が難破しなければ、世に名を残す人物ではなく漁民のままで終わっていただろうし、命を失うことなく生き延びてアメリカで生活し知識と経験、英語力を得て日本に帰国。当時、外国からの開国を要求されていた日本にとって必要な存在で重宝され。人というのは運にも左右されると実感。※NIKONの一眼レフカメラD610で撮影。
期待しないで行こう~普通の民家であった。だが、この周辺は万次郎を盛り上げているぞ~
ジョン万次郎の再現生家。本当はもう少し北側に建っていたようで、そこには石碑が立っています。本当に小さな家で3人家族ではいっぱいだったろうなと思いました。近くには万次郎が使用したという井戸がありますが他人の家の敷地内なので写真を撮るのは少し神経を使います。駐車スペースがなく、万次郎の記念碑がある場所(集会所?)に地元の人が停めてるスペースがあったので少しの間停めさせてもらいました。
再現された生家です。時間外にも関わらず、中を見学するようにお薦めいただきました。ありがとうございます。テレビ放送されるのが楽しみです。
ジョン万次郎(1827年―1898年)生家は、高知県土佐清水市那珂浜に位置します。ここは、県道27号線の足摺スカイライン沿いを、少し海岸渕に下った所にある、集落の中にある。道が狭く、駐車場を探すのに苦労する所である!ジョン万次郎は中浜万次郎とも云うが、この集落が中浜集落であることから付けられたのである!現在、万次郎生家は保存されていて、主屋は開帳されている。当時の状態化分かる施設である!直ぐ近くには母親の生家跡がある。又、近くの道路横の丘には、記念碑が建てられている。他、足摺岬には大きな銅像が太平洋を見つめている!土佐清水市内に行くと資料館もある。特筆すべきは、勝海舟、福沢諭吉等と共に、咸臨丸に乗って、通訳及び実質の船長として太平洋を横断して、アメリカに渡ったことである!!!
名前 |
ジョン万次郎生家 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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綺麗に管理されておりとても良かったです。展示数は少ないですが、写真など色々興味を引く展示有りました。他の方も書かれていますが、駐車場の問題がありそうです。