惟喬親王ゆかりの地、歴史を感じる。
惟喬親王御陵の特徴
愛知川沿いに位置する、歴史深い惟喬親王の御陵です。
静かな山中にひっそりと佇む、厳かな雰囲気が魅力です。
木地師の歴史を伝える、大きな像が印象的な場所です。
惟喬親王 樣のお陰で御先祖の命を明治天皇 様に助けられました。御先祖様と私の感謝の気持ちを御伝えに行きました。明日は大安吉日、惟喬親王 樣のお墓へ御参りをし、読経をしてきたいと思います。🙏
かなり山深いところにポツンとあって、これが1000年以上も前の話だと思うと、えらいとこに流刑されたんだな、としみじみ感じました木地師の歴史木地師資料館のパンフレットより貞観元年(859年)藤原良房を背景とする皇位継承の煩いを避けて都を逃れ、愛知川沿いに鈴鹿の山深く分け入り、この地に幽棲された文徳天皇の第一皇子惟喬親王は法華経の巻物の紐の原理から、里人に綱を引いて軸を回転させる手引きロクロを造り、椀や盆を製作する木地挽きの業を伝授されたと伝えられている。往時は、筒井千件、小椋千件、藤川千件と言われるほど木地師が数多く住んでいたが、中世末期の頃より、材料の原木が無くなると彼らは、次第に全国各地に良質の木を求めて分散していった。その頃より、この地は、全国の木地師を統括することになり、蛭谷筒井公文所、君ヶ畑の高松御所金竜寺では、諸国の木地師に「山への立ち入り、原木の切り取りは自由という許可証」や、「妻子眷属共々に、諸国の関所を自由に通行できる往来手形」を発行する特権が与えられていた。また、この地から諸国の山々を巡回した近世の氏子駈帳には、実に数万戸の木地師名が記帳されている。
木地師の資料館に向かう道中、木地師の祖と言われている惟喬親王の御陵を発見。ご挨拶してきました。下から見上げた像のお顔を、拝顔すると最初は怒った顔のように見えましたが、手を合わせた後は、微笑んでおられるように変わりました😊『天を敬い人を愛す』歓迎していただいたかな😁?
2021/7/23文徳(もんとく)天皇第1皇子である惟喬親王(これたかしんのう:844-897)の御陵。山道沿いにいきなり現れるとけっこう不気味で、どこぞの新興宗教かと思った。
2021*2*12来訪。我ここに至り旅先の記念に撮影。
大きな像があり、自然がいっぱいでした!天然のイモリが敷地内の小川に沢山居たので、生き物が好きな人にもおすすめしたいです〜!
静かで厳かな雰囲気。汲み取り式の仮設トイレが、入口脇に2つあります。助かりますね。
御朱印を貰いに参拝しましたが住職は不在でした。
バイクで山中を走るのが好きで見かけた御陵です。
名前 |
惟喬親王御陵 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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木地屋民芸品展示資料館に行かれる前に、先にお参りしたほうがいいかもしれません。百済寺から上がる道は狭くて運転は大変でした。その道を選ぶ場合は天気の良い日にきっと良いことが起きるでしょう。