福岡遺産を守れ!
伊藤伝右衛門天神別邸「銅(あかがね)御殿」跡の特徴
福岡の天神地区にある、歴史的な遺産です。
伊藤伝右衛門の足跡をたどることができる場所です。
再開発が進む中で貴重な歴史を感じられます。
探すのに時間かかりました。
万延元年(1860年)、現在の飯塚市に生まれた伊藤伝右衛門(でんえもん)は、一介の炭鉱労働者から身を興し、炭鉱経営に成功した立志伝中の人物です。伝右衛門は、第十七銀行(後の福岡銀行)頭取、博多ガス社長、衆議院議員なども務めました。一方の柳原白蓮(びゃくれん)は、伯爵・柳原前光(さきみつ)の次女として明治18年(1885年)に生まれ、14歳で北小路資武(すけたけ)と結婚。15歳で長男を出産するも離婚し、明治44年(1911年)、伝右衛門と再婚しました。生まれも育ちも、世の中の価値観も全く違い、年齢差は25歳。うまくいく訳がなく、白蓮は贅沢な生活を送っていましたが、悶々とした心境だったのでしょう。大正10年(1921年)、上京した2人は用件終了後に東京駅で別れ、白蓮は1人東京に残って失踪してしまいました。これは、白蓮の恋人で青年弁護士の宮崎龍介と示し合わせたことで、計画的なことでした。白蓮が伝右衛門に宛てた絶縁状は、当人に届く前に新聞紙上で発表され、その内容が過激なこともあり、世間を騒がす大事件となりました。その頃、伝右衛門は天神町にあった伊藤家の別邸・赤銅御殿(あかがねごてん)を白蓮のために大改装していました。屋根をすべて銅でふいた豪壮な建物でしたが、完成したのは離婚劇以後のことで、白蓮はこの豪邸に住むことはありませんでした。残念ながらこの豪邸も、昭和2年(1927年)、漏電のために全焼しました伝右衛門は同22年(1947年)87歳で亡くなっています。タリーズコーヒーの裏側にチラッとレンガ積みの壁が見えています。この壁は赤銅御殿の痕跡なのだそうです。1927年(昭和2年)に漏電によって全焼してしまったそうですが、このレンガだけは残り、そのままになっているのだそうです。かなりチラッとしか見えなくてマニアックな場所ですが、昔の痕跡を残す貴重な建物(の跡)です。
| 名前 |
伊藤伝右衛門天神別邸「銅(あかがね)御殿」跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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センタービルほか、天神地区の再開発で多分この奇跡的な福岡遺産も、壊されてしまうのでは、ないでしょうか?無くなる前に、ぜひちらっと見に行かれて下さい。