高麗本通りで戊辰戦争の歴史を学ぶ。
益満行靖誕生地の特徴
益満行靖さんの生涯を学べる史跡がある場所です。
22歳で戊辰戦争に参加した人物の誕生地です。
高麗本通り沿いに位置し、アクセスが便利です。
22歳で戊辰戦争に参戦し明治維新後は陸軍に入り33歳の時に留学先のドイツにて病に伏せてその後死去。行靖は非常に俊才でまだ創成期であった明治の陸軍において比類を見ないほどの逸材であったらしく、享年33歳という早すぎる死を薩摩以外の人々も悔やんだとのこと。このエピソードでどれだけ行靖が秀才で薩摩以外の人へも知られるほどの逸材であったかがわかります。ちなみに兄は勝海舟と西郷隆盛の会見実現のため奔走した益満休之助であります。兄弟揃ってスゴい…!
高麗本通りの車の行き交う前にある。駐車場の前にある。益満行靖。幼名を宗之助と称す。益満休之助の弟。弘化三年九月三日鹿児島高麗町に生まれる。戊辰の役二十二歳にして各地に奮戦功あり。明治四年陸軍大尉となり、累進して中佐となる。明治六年九月、朝令により兵制研究のためドイツに派遣されベルリンにおいて兵学を研究する。同十年疾病にかかり十一年八月客死する。享年三十三才。
名前 |
益満行靖誕生地 |
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ジャンル |
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電話番号 |
099-227-1962 |
住所 |
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HP |
https://www.city.kagoshima.lg.jp/kyoiku/kanri/bunkazai/shisekimeguri.html |
評価 |
4.5 |
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益満行靖さんという人については知りませんでした。生誕の地石碑の説明分で知りました。鹿児島市はたくさんの史跡がありとても羨ましく思います。古くから栄えた街なので当然かもしれませんがとても良い街と思います。