西郷隆盛の私学校跡、歴史の息吹を感じる。
私学校跡石塀の特徴
西郷隆盛が創設した私学校の跡地で、弾痕が生々しく残っています。
明治7年に設立された学校は、士族の教育のための場として機能していました。
鶴丸城跡近くにあり、西南戦争の歴史を感じることができるスポットです。
学校はないものの塀は当時のまま残り、その塀には弾丸跡が残ります(2022.12.22)
西郷隆盛が鶴丸城跡に創設した私学校の石垣がある西南戦争終盤に撃ち込まれた銃弾跡が見ることが出来る。
私学校は明治7年(1874年)に旧士族のための教育の場として創設され、明治10年に起きた一部生徒の暴発が戦争勃発のきっかけとなったそうです。石塀には政府軍が撃ち込んだ無数の弾痕が残り、激戦の様子を現在に伝えています。
何度もこの前をクルマで通っていますが、実際に見たことがなかったので行ってみました。
現在は、城壁しか残っていませんが日本の夜明けを感じることが出来ると思います。西南戦争の傷跡も残っております。
西郷隆盛が下野して鹿児島に帰って開いた学校です。夜にしか行った事ないのでハッキリとは解りませんが弾痕が凄いです。ここでも戦闘あったんですかね?それとも政府軍の威嚇?鹿児島城の向かい側にあります。交通機関は路面電車が1本隣の通りを走ってますからそれを利用するのが便利です。
西郷隆盛の終焉の地を周る旅私学校跡明治6(1873)年、政変で下野した西郷隆盛は、鹿児島の士族たちのため、この地に私学校を創設しました。西南戦争の際、この私学校の石垣に多くの銃弾が打ち込まれ、今なお激戦の様子を伝えています。昭和43年3月29日に県の史跡に指定されました。(鹿児島県観光連盟ホームページより)
西郷どんを観て行きました。荘厳で行って良かったです。歴史を学んでから訪れてほしい場所です。
せめて石垣だけでも残っているのがせめてもの救いです。
名前 |
私学校跡石塀 |
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ジャンル |
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電話番号 |
099-216-1344 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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弾痕の残る石壁の途中にある。西南戦争のきっかけにもなった私学校の存在に思いを馳せた。